遅れた乗客のために疾走する空港スタッフ、感動に値しない理由

 ある中国人Aさんが羽田空港で体験したことをまとめた動画が、中国で「感動した」「泣けた」と大きな反響を呼んだ(2023年5月5日付ダイヤモンドOnline)。

 Aさんが、搭乗時間ギリギリで羽田空港に到着した時点で、ANAのある女性スタッフは、片手でAさんのキャリーケースを持ち、長い通路やエスカレーターを全力疾走。その姿に胸を打たれたAさんは、彼女の後ろについていきながら、途中からその様子をスマホで撮影していた(スマホで撮影する余裕があったら、自分で荷物を持て)。

● 外国人の誤認、常識と非常識の根源

 この話、日本では日常的によく見られる光景、普遍的な出来事とも言える。なぜ、外国人がそれで「感動した」「泣けた」ことになるのだろうか。そしてなぜ日本人は当たり前のように感じているのだろうか。

 当事者の関係は「個人対個人」でなく、「会社対顧客」だからである。外国人の目線、海外の常識からすれば、女性スタッフは会社の要求、仕事の範囲を超えた対応であり、個人の特別なパフォーマンスとして、「チップ」の支払い対象の範疇に属する。そこでもしチップを払おうとすると、おそらくその女性スタッフは断ったことだろう。これも間違いなくさらなる美談になるだろう。

 相手が顧客であるうえ、飛行機を定刻通りに出発させる。そのためあらゆる手を尽くす。日本人なら一社員として顧客のため、ひいては会社のため当然のことと思って行動しただけだ。日本人にとっては、「会社」が「社会」だからだ。そこで外国人も見事に「会社」という概念を見落とし、「社会」に読み替えてしまうのだ。

 少し情景を変えてみよう。日本「社会」のレベルで人と人の助け合いはどの程度のものだろうか。全力疾走してくれるのだろうか。人それぞれの体験が問われよう。逆に日本社会の冷淡無情に驚き、失望する外国人の体験談もたくさんある。物事の色々な側面を複眼的に見つめると、本質にたどり着く。情に流されないための理性の価値、これは人によって評価が異なる。

● 日本社会の歪み、正直者が馬鹿を見る

 遅れて空港に着いた乗客を助け、なんとか飛行機に乗れるようにする。これは、「善」なのか?よく考える必要がある。

 早く空港に着く人はチェックインや保安検査の長い列に並び、もちろん自分で荷物を引きずり、そして搭乗口で散々待たされる。しかし、一方、遅れる乗客はスタッフの誘導を受け、列の最先端に割り込み、優先的に手続を行い、その上、スタッフが荷物まで運んでくれて疾走してくれる。このようなVIP級の待遇を受けられる。

 甚だ不公平ではないか。道義上の問題はそうだが、経済学的に考えるともっとおかしい。遅れてきた人は、早く来た人よりもかかっている時間コストが少なく、さらに特別待遇を受け、大いに「得」している。余裕をもって早く空港に来た人にとってみれば、相対的に「損」をしたことになる。

 一方、航空会社や空港がこのような「遅刻者優遇措置」を取ったのは、遅刻者への思いやりよりも、あくまでも航空機の定刻出発を確保するための手段でしかない。定刻出発の確保は「公衆の利益」という大義名分の下で、その実態が不当に隠蔽されてしまう。

 定刻出発を妨害し、コストを生み出しているのは、遅刻者である。しかし、遅刻者は逆に特別優遇を受け、利益を得る当事者となり、その分のコストは、早く空港に着く優良乗客にのしかかってくる。この実態は公平原則に反し、間接的に怠慢行為・ルール違反行為の助長、ひいては慢性的な遅刻現象の蔓延にもつながりかねない。結果的に、定刻出発を妨害する悪循環に陥る。

 故に、遅れる乗客は、自己責任の元で乗り遅れる損失を蒙るべきである。遅刻者を助け、荷物をもってあげ、搭乗口へ疾走するのは、ある意味で社会正義に反する行為だ。「安心して遅れる」、日本社会には悪しき安心感がこびりついている。

 最後に、エピソード。私の妻はかつて、香港空港で買い物の会計で時間を取られ、数分遅れて搭乗口に到着したところ、飛行機が出発してしまった。「数分も待ってくれない航空会社がひどい」と、私に国際電話をかけて泣きついてきたが、私は拍手した。「航空会社は正しかった、あなたは自業自得」と、9万円を払って新しく航空券を買い、半日後の便に乗ってもらった。

 遅れた乗客には、必ずコストを負担してもらう必要がある。

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