明日に死ぬつもりで生きる

 東日本大地震。命を失う。最愛の家族を失う。一生懸命に築き上げた財産を失う。住み慣れた街を失う・・・。一瞬にして失う。

 無常。

 世の中、すべての人が毎日毎日、死と隣り合わせて生きている。これが、「無常」である。「眼前の道理」。私たちの眼の前に突きつけられた事実は、眼を覆うことも、これに背くことも、そして、逃れることもできない。儼たる事実である。

 中国では、「死」を語ることがどうもタブー視されているようだが、死を考えずにして、生きる意味が分かるまい。

 人間は生まれたその一刻から、すでに死へのカウントダウンが始まった。

 大変不謹慎な話しかもしれないが、もし、大震災や事故、あるいは急病で命を失うことを事前に知っていたら、その人は違った生き方を取っていたのかもしれない。

 私は、明日に死ぬつもりで生きている人間だ。いや、明日よりも、次の瞬間に死ぬつもりで生きているのである。気がついたら、次の瞬間に死んでいない。そして、明日にも生きていた。そこで、生きる喜びと幸せが込みあがる。幸せいっぱい、元気いっぱいに生きる。本音で生きる。いつ死んでも、苦痛があっても、悔いはない、世界一の幸せものになれるのだ。

 人間にはリスクがつきものだ。リスクあってこその人生であり、リスクを恐れての不作為よりも、リスクを進んで取っていく。

 何もしなければ、何も変わらないという一つの結果だが、何かをしたら、成功と失敗という二つの可能性が出てくる。たとえば、失敗になっても、次の挑戦でさらに二つの可能性があるわけだから、失敗の経験知で、最終的に必ず成功を手に入れる。

 明日にでも死ぬつもりで今日を生きる。そして、永遠に死なないつもりで今日も勉強する。これが、私の人生の座右である。