● メディアの中立性は幻想
「どの候補も支持しない」――ワシントン・ポストが米大統領選でハリス氏への支持表明を見送ったことに失望した購読者20万人以上が解約したと報じられている。
リベラル系の同紙が、トランプ候補の躍進を受けて方向転換したとみられている。しかし、実態はともかく、「大統領選で、どの候補も支持しない」というのだから、それこそ、偏向せず、中立性の現れではないか。なぜ読者に蹴られたのか?私が繰り返してきたことだが、メディアの偏向は、つまり読者の偏向。
読者層の方向からずれた時点で、偏向と言われるわけで、そもそもメディアにいわゆる「中立性」などあり得ない。「偏向報道」で文句を言う人たちは、自分を中心に考えているので、ナンセンスである。メディアは中立したら、特定顧客層を失う。顧客を失えば、スポンサーも失い、商売が成り立たない。もう一度言う。メディアが、バイアスそのものだ。
● 選挙は「ガス抜き」
一方、今回の日本の衆院選は、国民の「ガス抜き」にすぎない。溜まったフラストレーションを「祭り」で一時的に解消しても、日本人は改革を望んでいるわけではない。自民党は基本的に安泰だ。ただ安倍派も高市早苗氏もほぼ終了。少なくとも石破短命政権という読みは外れている可能性が高い。
そういう意味で、石破氏の電撃解散選挙の決断は、統治戦略として正しい。どんな国の国民にも「ガス抜き」が必要だ。トランプもそれに当たる。氏が当選しても、アメリカは再び偉大になれない。フランス革命のギロチンは、ガス抜きの極意だ。革命後の近代民主主義では、大衆裁判のギロチンは物理的なものではなくなった。ただ、「首切り」の基本機能は変わっていない。
日本の場合、元国会議員で、生活保護で暮らしている人が多い。落ちたら、ただの一般人、貧乏人になる。当選したら、それは「投資」を回収し、リターンも取らなきゃ。だから、政治と金は常に一緒。その構図を理解する必要がある。世の中、お金のためでなく、名誉のために政治をやっているのは、トランプくらいだ。