テレビもねぇ、ラジオもねぇ・・・

 悪戦苦闘している日本の家電メーカー、ここ1年の経済紙やビジネス誌を読むと、この手の記事が溢れている。
 ステレオ。――私の大学時代は、このような商品があった。学校の生協で学生ローンを組んで、念願の一式を買って専用ラックに積上げると、高さは1メートルくらいはあった。LP盤時代の終焉に差し掛かって、カセットテープが主流になりつつあった。

 今考えたら、あんなデカイ化け物をよくも大金払って買ったもんだ。ステレオ、いわゆる音響設備たるものは、これから大衆消費財ではなくなり、よりハイレベルなものに進化し、やがてプロやマニア向けのニッチ市場に特化していくのではないだろうか。

 時代が変わった。いまや、テレビ、ステレオとカメラが、3つのアイコンに化して「スマートフォン」という小さなマジックボックスに収納されるようになった。ちょっと待ってよ、「フォン」といえば、「電話」だ。でも、いまの電話はもはや、電話機能のウエイトが限りなく低下し、「スマートフォン」がある種の情報端末になっている以上、「フォン」という名称もいずれ消え去るだろう。

 「ステレオ」が消えたように、「テレビ」も消えつつある。将来「電話」もなくなるだろう。「カメラ」もプロ専用の商品になるかもしれない。一般市民の手元にあるのは、「パーソナル・ユニット」のような端末だけになる。その中に、ID情報を入れたら、身分証明書やパスポート機能を持ち合わせることだってできる。バイオメトリクス認証(生体認証)の技術が汎用化すれば、不可能ではないだろう。

 「テレビもねぇ、ラジオもねぇ・・・」、吉幾三が歌っている時代はもはや近代化に乗り遅れた時代ではなく、逆にその最先端になる――。「テレビも要らねぇ、ラジオも要らねぇ・・・」

 ないから、ほしい。要らないから、ない。商品機能の集約と高度化によって、商品そのものが減る。商品が減れば、生産も減り、雇用も減り、給料も減り、消費も減る・・・

 そういう時代に備えて、家電メーカーは産業の斜陽化を嘆く暇などはない。誰よりも早く過去を捨て、過去の成功体験を捨て、新たな一歩を踏み出さないと生き残れない。何も家電産業に限った話ではない。われわれ一人ひとりはこの時代を生き延びるには何をすべきか・・・。