価格ではなく参照点が、損得感を決めている

 人間の損得感は、絶対値ではなく参照点で決まる。同じものを見ても、「高い」「安い」の判断が割れるのは、その人がどこを基準に置いているかが違うからだ。価格の話に見えて、実は心理と制度の話である。

 ペナンの田舎漁村、出張途中に立ち寄るRestaurant Floating Seafood Paradise(釣魚台水上海鮮)では、スリッパロブスターがRM39、シャコが1匹RM10、老虎斑(ハタ類)600gがRM80で手に入る。いずれも特別価格ではない。その日の水揚げを、そのまま地元で消費する、ごく通常の値段である。日本円にすれば、順に約1,480円、約380円、約3,040円にすぎない。

スリッパロブスター

 これを日本の外食価格に置き換えた瞬間、景色は一変する。スリッパロブスターは流通自体がほとんどなく、料理として出れば1万円超が当たり前だ。シャコも同様で、寿司用の小型ならまだしも、写真のような大型個体は一皿3,000〜5,000円が相場になる。

シャコ

 一方、老虎斑のようなハタ類は日本にも調理文化と流通があるため、価格差はやや小さい。それでも同等サイズで8,000〜12,000円程度にはなる。結果として、ペナン漁村の価格を参照点にすれば、日本では老虎斑で約2.6〜4倍、スリッパロブスターやシャコでは約7〜13倍に跳ね上がる計算になる。

老虎斑(ハタ類)

 ここで重要なのは、同じ海で獲れた生き物が高くなった理由が、味や品質の違いではない点だ。流通の階層、規格化、料理人の技術料、そして「扱えるかどうか」という制度的条件。これらを通過するごとに、価格は段階的に積み上がる。その累積結果が、倍率として可視化されているにすぎない。

老虎斑(ハタ類)

 ペナンの漁村で見えているのは「安さ」ではない。介在物の少ない、ほぼ一次価格に近い姿だ。逆に、日本で見えているのは「高級さ」ではない。制度と仕組みを通過しきった後に残った、完成形としての値段である。

 人はしばしば「高すぎる」「ぼったくりだ」と言うが、その違和感の正体は価格そのものではない。自分が置いている参照点と、提示された価格の距離に耐えられないだけだ。参照点がペナン漁村にあれば、日本の価格は異常に見える。参照点が日本の外食市場にあれば、ペナンの値段は「信じられないほど安い」と映る。

 結局のところ、損をした、得をしたという感覚は、現実の価値よりも先に、どこを基準に世界を見ているかで決まっている。価格の話は、いつも参照点の話なのである。