● 「反論になっていない反論」の正体
SNSで「反論になっていない反論」のほとんどが、「論点すり替え」である。「論点すり替え」は、意図的でなく、無意識的にやってしまっている人の方が多い。「悪」ではない。その原因は、以下3点に整理できる。
1. 相手の命題を正確に読み取れず、自分が理解しやすい別の命題(知っていることや自分の得意分野)に置き換えてしまう。
2. 相手の命題が自分の常識・固定観念に反し、心理的に受け入れにくい場合、人は無意識に議論を扱いやすい領域へ移し、反論や否定を試みる。
3. 訓練されていないので、議論の作法(論点に沿って議論する)を理解していない。
上記3種類は、交差していることも多く、その共通点は、SNSの他人投稿をみて、即座に反射的に反論することだ。私はこれを「脊髄反射的コメント」と呼んでいるが、これも本能的行動で、「悪」ではない。
したがって、自分の議論する能力を高めたい方は、反射的コメントの欲望を抑え、投稿の命題(論点)の所在をまず少し時間をかけて分析することである。
① この投稿の命題は何か
② 自分の反論の命題は何か
③ 命題のレイヤーは一致しているか
● いつまでも「論点すり替え」が続く原因
議論の命題レイヤーが違う、と具体的に指摘しても、否定するという反応がよくみられる。ますます感情的になる反応も珍しくない。この心理・言動もまた、論点のすり替え。
最初の命題は「議論の作法」、つまり「命題は何か」「その命題に沿って反論しているか」という「What」(何を論じているか)である。ところが指摘を受けた側は、しばしば次の方向に移動する。「あなたは私の能力を否定しているのか」「私の人格を攻撃しているのか」。つまり議論の対象が「What」(議論の構造)から「Who」(当事者の能力や人格)へと、論点のすり替えが生じる。
これは、「理」から「情」への論点層のすり替えでもある。
さらに、ここからエスカレートする場面もある。人によっては、「SNSでの発言は、私の言論の自由だ」と逆切れする。これも論点のすり替え。
言論の自由は、「発言する権利があるか」という制度命題である。
議論の作法は、「命題に沿って議論するか」という方法命題である。
両者はレイヤーが異なる。言論の自由があることは、議論の質や論理構造を保証するものではない。
法廷ではこのような移動は起きにくい。なぜなら「異議あり」で議論が打ち切られ、裁判官が関連性を判断するからである。しかしSNSにはそのような審理構造が存在しないが、最悪の場面は、削除やブロック行為に発展する。
● 国会答弁例
国会答弁は、実はレイヤー変更と論点すり替えの典型的な舞台である。しかもSNSのような無意識のものだけではなく、かなりの部分が意図的な技術として使われている。ぜひ、観察の場として活用してください。
典型的な構造は次の通りである。
質問者の命題は、What(事実・責任・判断)である。例えば、
「なぜその政策を決定したのか」
「誰が最終責任を負うのか」
「その判断は妥当だったのか」
ところが答弁側はしばしば、How(手続)に移動する。
「適切な手続きを踏んでいる」
「専門家の意見を聞いた」
「法令に基づいて対応している」
これで質問の核心から距離を取ることができる。さらにもう一段階移動する場合も多い。Who(主体・他者)に転換するのである。
「前政権からの問題である」
「担当部局が判断した」
「関係機関と連携している」
こうして、What → How → Whoというレイヤー移動が起きる。結果として、質問と答弁は論理的には全く噛み合っていないが、形式上は答えているように見える。この技術は政治では非常に重要で、核心の命題に入らずに時間を消費することができるからである。
SNSの論点すり替えは多くの場合無意識だが、国会答弁のそれはかなりの割合で戦術的な回避技術である。「詭弁」といっても差し支えない。つまり国会は、ある意味で高度に制度化された論点すり替えの場とも言えるのである。




