日中対比で見るAI戦略とインセンティブ設計――個人格差と国家格差は、なぜここまで分岐したのか

 生成AIをめぐる日中の差は、技術力の差ではない。ましてや国民の知能や勤勉性の差でもない。差を生んでいるのは、AIを「何として位置づけ、誰に報いる装置として設計しているか」という国家戦略とインセンティブ設計の違いである。

 まず日本。日本のAI政策の出発点は一貫して「不利益を出さないこと」にある。使えない人を取り残さない、格差を生まない、不安を与えない。これは倫理的には美しい。しかし制度設計として見ると、致命的な欠陥を抱えている。生成AIは福祉でも公共財でもない。生産性を飛躍させる競争装置であり、使う者と使わない者の差を前提に成立する技術である。それにもかかわらず、日本は「使わない人の不利益回避」を最優先に置き、「使う人の利益設計」を後回しにしてきた。その結果、AIを使っても評価も裁量も報酬もほとんど変わらない社会が出来上がった。努力して先に進んだ者が報われない以上、学習も実装も広がらないのは当然である。

 一方、中国は発想が逆である。中国において生成AIは、包摂されるべき技術ではなく、国家全体の生産性を引き上げる装置として位置づけられている。使える者を先に走らせ、成果を出させ、経済と行政を回す。使えない層が生じることは想定内であり、その是正はAIそのものではなく、雇用配置や別制度で吸収する。ここでは「全員が同じAIを使えること」は目的ではない。「AIを使える層が国家を牽引すること」が目的である。

 この違いは、個人格差の扱いに明確に表れる。日本ではAIを使える人と使えない人の差は「問題」とされ、縮小すべきものとみなされる。中国ではそれは「前提」であり、むしろ意図的に拡大される。なぜなら、その差こそがインセンティブだからだ。AIを使えば仕事が早く終わる、成果が上がる、評価される、次のポジションが得られる。この因果が明確である限り、人は学び、試し、使い倒す。

 国家格差も同様である。日本は「AI格差を生まない国家」を目指すが、その実態は「誰も飛び抜けない国家」である。中国は「AI格差を内包した国家」を前提とし、その代わりに国家全体の速度を上げる。どちらが冷酷かという議論は意味がない。結果として、どちらが生き残るか、という現実の問題である。

 生成AI時代において最も危険なのは、「使えない不利益」を恐れて、「使える利益」を潰すことである。後進に合わせた設計は、一時的な安心を与えるが、長期的には全体を沈める。これは教育でも組織でも、過去何度も繰り返されてきた失敗の構図だ。AIはそれを最後通告として突きつけているにすぎない。

 結論は単純である。AI時代の国家戦略とは、全員を守ることではない。先に走る者を止めないことだ。その背中を見て追いつける者が追い、追えない者は別の制度で受け止める。この非対称性を受け入れられるかどうかが、日中の分岐点であり、これからの国家格差を決定づける。

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