日本の「失われた30年」と、中国の「失われた300年」

 最近、「中国の台頭」と「日本の衰退」論が盛んに語られている。歴史的視野を広げると、むしろ逆方向に「中国の衰退」「欧州・日本の台頭」を見つめる必要があるのではないかと思う。

 経済学者のアンガス・マディソンの経済力測定によれば、1700年のイギリスを100とした場合の中国の経済力は、1000年で52、1500年で163、1600年では375となり、そして1700年では218に落ち込んだ。明らかに、1600年代(明時代末期)~1700年代(清時代)は「中国の衰退」が始まる時代だった。それでも同時代のイギリスより2倍以上の経済力をもっていた。

 だから、ここ300年が中国の衰退期にあたり、欧州が台頭したのである。日本の台頭、中国との立場逆転期はもっと遅く、日清戦争を境にした場合、わずか100年しかない。従って、長い歴史の流れとにらめっこして、中国の衰退、中国にとっての「失われた300年」を掘り下げることによって異なる景色が見えてくるわけだ。

 朝貢制度によって、中国は必要なものを入手できたし、進んで略奪しに出かける必要がなかったのだ。鄭和の大航海も、官僚としての職務履行にすぎず、自らの利益を求める冒険航海ではなかった。コロンブスやマゼランなどの冒険家とは全く違う性質の航海だった。言ってみれば、資本主義の原初的蓄財にあたるインセンティブの設定は中国に見られなかったのだ。

 資本主義の対外拡張、資源確保を目的とする大航海や植民地化にも、近代化をもたらす産業革命にも、中国は無反応だった。「失われた300年」によって中国は徹底的に衰退し、世界の底辺に堕ちた。鄧小平以降の中国の指導者は資本主義に羨望の眼差しを向けたとき、彼たちが認識していたは、300年の間に資本主義列強が行ってきた略奪と搾取だったのではないか。

 「あなたたち(アングロサクソン系)がやったことではないか」、これが中国の内在的論理だった。ついに30年という時間で今は「失われた300年」を取り戻そうとしているのもまた中国である。故に、習近平いわく「中華民族の復興」とは、「台頭」ではなく、長い歴史のなかの「常態」に復帰するという意味だったのではないだろうか。

 その歴史的時間軸に当ててみると、日本のいわゆる「失われた30年」はどのように捉えるべきか、また異なる景色が見えてくるだろう。むしろ、戦後高度成長の40年は偶然の幸運に恵まれた「得した40年」だったように思えてならない。

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