「親〇」と「嫌〇」、理不尽な強者との付き合い方

● 理不尽な上司との付き合い方

 「親〇」と「嫌〇」。

 サラリーマンは、上司の理不尽に日常的に耐えている。表では笑顔でも、それは「親上司」だからではない。実態は「嫌上司」だ。だからと言って、本人に向かって毅然と喧嘩を売るか。やらない。愚痴は上司のいない居酒屋で吐き出す。職場では波風を立てず、被害を最小化する。これは卑屈ではなく、損失管理としての成熟だ。

 対中関係も同じ構造である。笑顔で付き合う=親中、ではない。距離を取り、内心で警戒し、外面は穏やかに保つ。日本人が職場で毎日やっている処世術だ。ところが外交になると、日本人は急に人格が変わる。自分が直接ダメージを受けないと思った瞬間、「毅然」「正義」「価値観外交」に酔い出す。現場感覚ゼロの精神論だ。

 結果どう見えるか。世界から見ればこうだ。「なんでわざわざ中国に喧嘩を売るの?」「勝てない相手に噛みついて、何がしたいの?」。はっきり言えば、滑稽である。職場では理不尽な上司に徹底して従順なくせに、外交になると突然ヒーロー気取り。この二重基準が、日本を軽く見せている。結論は単純だ。外交も職場と同じでいい。笑顔は戦術。内心は別。勝てない喧嘩は売らない。それが現実を生き抜く大人の態度であり、今の日本に必要なのは「毅然」ではなく、分別だ。

● トヨタ自動車が「愛国・反中」した場合

 仮に、トヨタ自動車が「愛国」を理由に中国ビジネスをやめたとする。この瞬間に問われるのは思想ではない。名古屋経済圏がいくら失血するか、その一点だ。

 まず一次的な影響は、利益の消失である。中国事業は販売台数だけでなく、持分法利益や連結子会社利益を通じて、トヨタ全体の稼ぐ力を底上げしてきた。その柱を抜けば、営業利益は目に見えて減る。これは「海外の話」ではない。利益が減れば、真っ先に起きるのは投資の抑制だ。研究開発、設備更新、次世代分野への先行投資が後ろ倒しになる。

 次に二次的影響として、購買と外注の締め付けが来る。トヨタは利益を失った分を、内部留保だけで吸収しない。部品単価、金型費、設備費、物流費、IT委託費まで含めて、系列・非系列を問わず圧力がかかる。ここで名古屋経済圏の企業が直撃される。受注数量が激減しなくても、単価が削られる。これは中小サプライヤにとって致命的だ。

 三次的影響は、サプライチェーンの連鎖である。一次サプライヤが締め付けられれば、二次・三次へと圧力が波及する。結果、賃上げは止まり、賞与は削られ、採用は凍る。失業者が一気に街に溢れるというより、地域全体が静かに貧しくなる。これが自動車クラスター特有のダメージの出方だ。

 重要なのは、中国向け車両の多くが現地生産である点だ。だから「中国撤退=愛知の生産ライン即停止」ではない。しかしそれでも痛い。なぜなら、効くのは生産量ではなく利益だからだ。利益が減れば、名古屋圏は「稼げない構造」に引きずり込まれる。

● 中国ビジネスをやめよう

 ここで反中を叫ぶサラリーマンに問いを返すべきだ。中国ビジネスをやめた結果、
 ・あなたの会社の利益はいくら減るのか
 ・その結果、あなたの給料とボーナスはいくら下がるのか
 ・取引先は何社、どれだけ受注を失うのか
 この数字を引き受ける覚悟があるのか、と。愛国か反中かは自由だ。だが請求書を自分で払わない正義は、ただの感情消費である。トヨタが中国を切れば、名古屋経済圏は確実にダメージを受ける。

 それは理念ではなく、連結決算と受注台帳が示す現実だ。数字を語らない愛国は、経済の世界では存在しない。そこの偽右、あなたの会社、あなたの子供の会社、あなたの暮らし、そしてあなたの家族の暮らし、嫌中や反中で中国を切ってみるか。今、それに気づかないで反中大合唱をする楽団の指揮者をしているのは、高市早苗である。

● 媚中は屈辱ではない

 では、問いと答えを一つの論理に畳む――。「媚中しかないのか」と問う前に、確認すべき事実がある。日本は媚米していないか。これは価値判断ではなく、現実だ。では、今の世界で「媚外していない国」はあるのか。あるとすれば、それは中国だ。中国は自前の市場、軍事、人口、技術、国家動員力を持ち、他国に媚びる必要がない。

 だからこそ、トランプですら中国に本気の喧嘩は売らない。殴り合えば、返り血を浴びると分かっているからだ。ここから結論は単純になる。媚びたくなければ、強くなるしかない。これは外交でも、職場でも同じ原理だ。

 サラリーマンが上司に媚びるのは性格の問題ではない。力関係の問題だ。給料、評価、人事権を握られている以上、笑顔は戦術になる。媚びたくなければ、会社を辞めるか、代替不能な力を持つしかない。つまり、サラリーマン時代よりも強く生きることだ。国家も同じだ。媚中が嫌なら、反中を叫べばいいのではない。中国に嫌われても困らない力を持てばいい。

 市場、技術、資源、軍事、通貨。どれか一つでは足りない。束にして初めて、媚びずに済む。だが日本は、その設計をしてこなかった。だから今は、媚中か反中かという幼稚な二択に縛られる。

 結論を言う。今の日本にとって、媚中は屈辱ではない。弱者の現実対応だ。問題は媚びることではない。媚びなくて済む強さを作る努力を、していないことである。媚びるな、と叫ぶのは簡単だ。だが、強くなれ、と言わずに叫ぶ正義は、ただの自己満足にすぎない。

● 色んな弱肉強食の世界

 最後に雑談。

 弱肉強食は、生存原理。ただし「食べ方の作法」が違う――。アングロ・サクソン型は相手を「征服」する。中国型は相手を「臣服」させる。日本は近代化の過程で、アングロ・サクソン型の「征服」を学び、実践もした。西洋は成功したが、日本は失敗した。それ以来、そのトラウマで日本人の頭の中では、力の行使=武力=侵略=戦争という連想回路が一本に直結してしまった。

 日本は、その思考停止の結果として、中国型の「臣服」を「理解する能力」そのものを失った。