華為(ファーウェイ)の任正非総裁とICPC財団コーチ・金メダリスト獲得者たちの対談(2023年8月21日、26日)に、このような一節があった(主旨)――。
質問者「あなた本人がアップル(Apple)をご愛用でアップル・ファンだというもっぱらの噂を聞いていますが、本当か嘘か、教えてください」
任正非「本当です。アップルはわれわれの先生ですから。良い先生がいるほど幸せなことはありません。アップルとの差を知ることができて、アップルはなぜ成功したかをよく研究し、学ぶチャンスに恵まれています。そういう意味で、私は紛れもなくアップルの大ファンです」
この一言から、「器」というものが見えてくる。私が常に言っていること、「敵を尊び、敵から学び、そして敵に勝つ」ということは要するにこういうことだ。中国に負け、中国を罵り、中国を蔑み、いまだに日本が凄いと自惚れする日本人の器がいかに小さいか。
中国は日本を凌駕したのは、彼らは日本を敵(競争相手)とみなしても、一生懸命日本、つまり敵から学ぼうとし、学んできたからだ。歴史的に中国は世界をリードしてきたが、アヘン戦争後の150年だけは衰退に転じ、欧米日列強諸国に虐められ、かつての栄光は地に堕ち、限りなく屈辱感を味わい、辛酸を舐めてきた。
忍耐強いのは、日本人も中国人も同じだが、日本人は、忍耐のために忍耐するが、中国人は再起、復讐のために忍耐する。目的と手段の取り違えといったらそこまでだが、そうした意味で中国は臥薪嘗胆の末、ついに待ちに待ったその日がやってきた。それがいわゆる「中華民族の復興」という意味だ。
それに対して、日本から見れば中国との位置逆転で、今は下位に転じた。そこで日本は過去の中国と同じように、負けを認め、再起を誓い、臥薪嘗胆に取り組むことができるのか。まさに任正非氏の言葉を借りて、そのまま主体を置き換えるだけでこうなる――。
中国は日本の先生だ。良い先生がいるほど幸せなことはない。中国との差を知り、日本はなぜ負けたか、中国はなぜ成功したかをよく研究し、学ぶチャンスにし、そして日本人は中国の大ファンになることだ。
日本人はそこまでの器量を持てるのか。現状では無理だろう。そんな日本は、逆転する見込みはもはやゼロ。負け犬の遠吠えに自惚れし、美学まで喪失し、みっともない滅び方を受け入れざるを得ない。一方、中国が日本を凌駕しても、まだまだ日本から学ぼうとしている。日本はなぜ負けたのか、負け方を学ぶのだ。