美辞麗句を唱える娼婦たち、職業に貴賎なし

 「既当婊子、又立碑坊」
 
 ――中国の諺、娼婦で体を売って稼ぎながらも、貞節を讃える碑を立てると。今の日本も台湾もそういう人が多い。体を売って稼ぐのは、恥ではない。ただそれを貞節溢れるものにすり替えてはいけない。アメリカのケツを舐めながらも、自由や民主を声高に唱えるのはそれにあたる。

 家計を立て、小遣いをもうちょっと増やすなら、貧乏人の権利なのだ。ちなみに私は実務界だから、経済的利益が優先で、いわゆる「娼婦業」である。

 実利的にいえば、日本は、米国の属国よりも、中国の属国になる準備をした方がいいと、私はそう思っている。日本は主権国になれない以上、大国の属国になるしかない。ならば、勝ち馬に乗る。勝ち馬を見極める。負け馬につかないことが実利的に大事。イデオロギー先行ではない。私は実務家だから、経済的利益優先だ。その辺は無節操だ。

 「反中・嫌露・従米・親台」――看板だけ掲げていれば、保守か?とんでもない。「保守」とは何かすら分からない無知だ。「国益」の所在、論理的に判断することが前提だ。無知は往々にして符号(看板)で自己表現しようとする。

 中露でも日本に有利な箇所は利用する。米台でも日本に有害な箇所は排除する。当たり前だろう。目隠し利酒だ。銘柄ラベルに騙されるな!しかし、現実は過酷だ。こういった基本的なことができる人は、ごく少数。それでは国家が衰退する。宿命としか言いようがない。

 補足しておくが、いわゆるジャーナリストや社会科学学者のほとんどが凡人だ。
 
 彼・彼女たちは、雇い主やスポンサーの利害関係で物書きをし、自分の信念に反する言論を唱える者もいれば、気づかないうちに思想がその枠組みにはまって信念が変わったり、本能的に一定のパターンに沿って原稿を書き、ものを言う者もいる。その本能とは生物の自己保存本能である。

 彼・彼女たちは、思想家でなく、言論屋である。プロパガンダ、マーケティングの専門家であったりもする。特定の読者・視聴者層の「希望的観測」に沿ってコンテンツをつくるという意味で、まさにビジネス、産業である。だから、メディアに不偏不党を求めてはいけない。

 彼・彼女たちは単に言論づくりで生計を立てているに過ぎない。アダルトビデオのプロデューサーよりは上品だが、基本構造は同じだ。ジャーナリストや政治評論家とアダルトビデオのプロデューサーとは、商品の形態が異なるだけで、職業における貴賤はない。読者や視聴者を喜ばせる意味で、構造的同一性がはっきりしている。

 どんな職業も同じだ。神聖化してはいけない。みんな食っていくために家族を養っていくために懸命だ。善悪も貴賤もなし。娼婦も然り。

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