臥薪嘗胆、日本人よ中国から学ぼう

 中国から学ぼう!

 6月26日付けのダイヤモンド誌会員メール『日本人の8割が親しみを感じない中国から、嫌でも学ぶべきこと』の一部抜粋である――。

 「……中国に対し、日本の国民感情は過去最悪のレベルです。内閣府の世論調査では、『中国に親しみを感じない』人の割合は8割弱にも上っています。このネガティブな国民感情は、中国が経済大国になり影響力を増すほど、反比例的に増えています。……しかし好感を持てなくても、なぜ中国経済が強いのかについては、謙虚に学ぶ姿勢を持つ必要があります。ジャパン・アズ・ナンバーワンの地位から滑り落ち、過去30年間成長がない国になってしまった日本がこれ以上停滞しないためには、中国を含む他国から学ぶことが重要です。そして中国の根本的な強みは、他国の強みをためらわず吸収する学習姿勢だともいえます」

 「……鄧小平は、1978年に訪日した際、こう語りました。『自分(中国)が遅れているということを認める必要があります。正直に遅れていることを認めることに、希望があると思います。もう1つは、よく勉強するということ、学習するということです。やはり日本にいろいろ教えていただく、ということです。私たちは発展している全ての国々に教えていただきたいと思います』。この姿勢を今、日本のリーダーたちも持てるでしょうか? 」

 たとえ敵であっても、敵だからこそ、学ぶべきものは学ばなければならない。彼を知り己を知れば百戦殆からず。しか今、多くの日本人は彼も己も知らないし、知ろうとしない。これでは、負け続けるだろう。

 「醜・強」「美・弱」という2つの概念があって、日本人的な美学からすれば、前者を拒否し、後者を取るだろう。死んでも自分の美学にこだわるのなら、それは素晴らしく、いささか武士道的ともいえる。しかし、今の日本社会にこのような美学が存在しているのだろうか。

 少なくとも私は感覚的に、日本社会の「美」に懐疑的である。「強弱」は客観的状況であり、「美醜」は主観的判断である。私の主観的な「美醜」論に様々な反論があってもいい。ただ、日本の衰弱化は否定できない客観的現状だ。

 私はイデオロギーの面では、中国に批判的であり、今でもまったく変わっていない。しかし、私の仕事では、哲学や帝王学から経営戦略、戦術ないし人事の手法まで、中国的な考え方ややり方を多く取り入れ、生かしている。もちろん、毛沢東思想も勉強・研究している。

 日本人のいわゆる嫌中感は、理解できる。本当に嫌だったら、脱中しよう。棲み分けしよう。私はいい方向だと思う。製造拠点を中国からすべて引き揚げ、日本国内に回帰し、地方にどんどん工場を建てる。サービス業の低労働生産性を是正すべく、大規模リストラを断行し、余剰人員を地方の工場に送り込み、製造ラインに入ってワーカーになってもらおう。農業も大きな受け皿になろう。ホワイトカラーはネクタイをはずし、スーツーやハイヒールを脱ぎ捨て、畑仕事で日焼けしようではないか。

 その分、日本人が作り出した製品や産品「Made in Japan」は、国内市場を席巻する。素晴らしい。ただ相場や値段は上がる。安さを求めるのは論外だ。投資も雇用も国内であるから、所得が上がる分、消費に回る。いかがですか、バラ色の将来ではないか。ただ昨日の日本はもう存在しない。競争の激化や階級の鮮明化によって、格差がどんどん広がる。

 国民の合意があれば、是非、その方向に持っていこう。日本人には、できるのか?臥薪嘗胆。

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