変化に敏感で鈍感な人間、一葉知秋で気付くフェイド現象

 マレーシアに住んであっという間に1ヶ月半経った。現時点でいえることは、「職住分離」は正しい決断だった。

 私の移住には、「立花は中国から逃げた」という声も聞いたりするが、その理由は概ね二分しているようだ。一つは、「立花は中国に負けた」。もうひとつは、「中国はいよいよやばい」。よく見ると前者が歴史的評価で、後者は将来の予測である。

 まず歴史的評価は、評価者の自由な判断である。ただ、「職住分離」について、ブログにも書いたとおり、長年の人事労務の仕事で精神的な疲労が酷いことから、それは一種の負けともいえるのだろう。負けがさらに大きくなる前に、逃げるが勝ちというのがあるかもしれない。いや、その通りだと思う。今になって考えると、逃げて良かった。「職」、中国での仕事を続けるためにこそ、「住」を中国から移出するものだ。

 次に、将来の予測については、私は占い師ではないので、中国の将来を占うことができない。私の仕事は、凶吉の占いではなく、凶、大凶のくじを引いても、企業が無事か被害を最小限にすることである。

 アメリカの駐中国大使、ロック氏が辞職して帰国する意向を示したところ、北京のPM2.5問題ではないかとの憶測が流れ、氏が否定しているようだが、真の理由は本人にしか知らないわけで、よそが勝手な推測をしても意味がない。通常理由は一つだけではないはずだ。

 人間は変化に敏感だ。だが変化が起きて長い期間がたつと、段々鈍感になる。変化の時効とでもいうのか、変化が一つの既成事実になった時点で、次の変化が新たな波紋を引き起こすものになる。ただ、目に見えない変化、段階的な変化になかなか気付かないのがもっとも怖い。それは、フェイド現象という。テレビや映画の画面が徐々に淡くなっていき、最後気付かないうちに消えてゆくのと同じだ。

 われわれの身辺にはいろんなフェイド現象、気付かない変化が進行している。この変化により多くの注意を払う必要がある。いろんな事象が符号となったりサインとなる。一葉知秋というが、枯葉はただ本に挟んでしおりにするより、もっと大きな実用性がある――。一種の符号である。

 さて、中国のフェイド現象は?