【世界経済評論IMPACT】拉致の被害国が拉致を黙認した日、ベネズエラ事件が日本に突きつけた現実

 米国によるベネズエラ攻撃・マドゥロ大統領と夫人の拉致事件で、拉致の被害国である日本は、拉致を黙認した。

 この真実から目を背けてはならない。抗議もしない、非難もしない、国際法にも言及しない(1月5日現在)。これは外交上の沈黙ではない。原則の放棄である。親米という日本国家の基本姿勢は確かに存在する。しかし、それが自国利益と正面から衝突する場面において、どう対処するのか。今回の対応は、あまりにも無神経ではないか。

 アメリカは自国法で「容疑者」と認定し、相手国の同意も国際司法の手続も経ず、主権国家の首都を攻撃し、武力で本人と夫人の身柄を拘束・連行した。戦争でも制裁でもない。域外での強制執行である。事件の発端や是非善悪を論じる前に、ここで決定的な事実が生まれた。攻撃や拉致という事実の「実体」を争う前に、「手続」法レベルにおいてしっかりした前例ができた。前例は条文よりも強い。次に同じ行為を行う国は、必ずこう言える。「先にやった国がある」と。

 この前例は、中国にとって極めて都合がよい。中国は台湾を自国の一部と位置付け、台湾独立を国家分裂犯罪という最重罪の一つとして扱っている。台湾独立を海外で扇動・支援する行為も、中国法上の犯罪として構成できる。そこに、アメリカが自ら切り開いた論理が重なる。自国法で容疑者と認定し、域外で拘束する。理屈はすでに完成している。

 重要なのは、中国が実際にそれをやるか、やらないかではない。やれるという前提が国際的に可視化されたこと自体に、決定的な意味がある。今回のベネズエラ事件で、中国は派手に抗議していない。感情的にも振る舞っていない。ただ黙って前例を吸収した。なぜなら、目的は拘束そのものではなく、威嚇による世論と言論の沈静化だからである。

 誰もが理解する。活動家などの該当者が中国本土や香港、マカオに渡航すれば危険だ、という段階はすでに終わった。次に来るのは、海外にいても、完全な安全圏は存在しないという認識である。中国の友好国、経済的依存国、政治的に曖昧な国。そこに変数が一つ入っただけで、言論は自発的に萎縮する。抑止としては、これ以上なく効率が良い。

 この前例が最も危険に響く国が、日本である。日本人が最も敏感なのは、戦争でも核でもなく、拉致だからだ。拉致は理念の問題ではない。歴史的トラウマが今もなお引きずられており、生活の延長線にある恐怖であり、国家が守るべき最小単位の安全である。

 仮に、中国が「台湾独立派と認めた日本人」を、日本国内にいるにもかかわらず「容疑者」として拘束・連行したらどうなるか。法的には違法である。だが、止め切れるか。国連は強い言葉を選ばない。安保理は動かない。米中という常任理事国同士の前例合戦に踏み込めば、組織そのものが止まるからだ。

 しかも今回は、日本自身が致命的な前提を壊している。拉致を国家安全の最優先課題と掲げてきた日本が、同盟国による事実上の拉致行為に抗議しなかった。これは沈黙ではない。黙認である。外交において、発言しないこと自体が意思表示になる。一度許した前例は、次に拒めない。

 結果として、日本は自らの首を絞めた。将来、こう言われたら終わりである。「あなたは、あの時も黙っていた」。拉致を最も忌避する国が、拉致を基準ではなく加害者の国籍で判断した。この瞬間、日本は自らの盾を捨てた。被害者としての権利主張を実質的に放棄し、今後は「拉致」という言葉に触れること自体に、神経質にならざるを得なくなる。

 結論は簡潔だ。
 
 国際法が壊れたのではない。拉致を正当化できる世界線が開いた。そして日本は、それを黙認した。この事実を直視しない限り、日本人の安全を語る資格はない。

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