偽右の生態(3)~「演出」がすべて、敵幻想と自己英雄化の心理メカニズム

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● 「演出」にすべてが凝縮される

 偽右の本質――すべては「演出」に集約される。高市早苗首相の対米外交は演出だと私は言ってきた。しかし、よく考えてみれば、それは高市個人の問題ではなく、偽右という存在そのものの本質である。彼女は支持層のために演じ続けなければならない。つまり、偽右とは理念でも思想でもなく、徹頭徹尾「演出」なのだ。

 彼らの政治行動の動機は、国を良くすることではなく、観客に「愛国者」として良く見られることである。だから、国家の体裁や品格を損なおうが、保守本流の原則を踏みにじろうが、問題ではない。重要なのは「舞台映え」だけだ。アメリカに媚を売ることも、国内向けの勇ましい言辞も、同じ構造の演出である。外では従属の笑顔、内では愛国の怒号。まるで二枚の仮面を巧みに使い分ける役者のように。

 本来の保守とは、国家の独立と矜持を守る知的・倫理的営みであり、演出とは最も遠い位置にある。だが偽右にとっては、思想よりも照明、原則よりもカメラ映え、信念よりも拍手が価値基準となる。彼らは「日本を取り戻す」と言いながら、日本の品格を最も安く切り売りしている。国家を愛するふりをして、国家を軽く扱う――それが偽右の最大の背信である。

● 「右傾化」幻想と露出狂の心理

 中国では日本の「右傾化」を警戒しているという。しかしそれはまったくの筋違いである。日本に「右」はいても「保守」はほとんど存在せず、実際に警戒すべきは思想でも軍備でもなく、空虚な演出集団――偽右である。だが中国はそこを見抜いていないようでいて、実は本能的に察している節もある。彼らは日本の偽右が「演じる右」であることを知りつつ、それを外交的に利用している。

 むしろ中国が「右傾化」と声を上げれば上げるほど、偽右はますます興奮する。「ほら見ろ、敵が恐れている。俺らを潰そうとしている」と。反応そのものが快感なのだ。露出狂が人前でコートをはだけ、相手が「キャーッ!」と悲鳴を上げる瞬間に快楽を覚えるのと同じ構図である。理屈や信念ではなく、注目されること自体が目的。悲鳴がなければ存在が確認できず、無視されることこそが最大の恐怖なのだ。

 本来、真の保守なら、冷静と沈黙をもって尊厳を保つ。だが偽右は逆に、喚き、騒ぎ、晒すことで自らを誇示する。国家の威厳を守るどころか、自ら進んで裸になり、「キャー」という悲鳴を期待している。その滑稽さに気づかないまま、「日本を取り戻す」と叫ぶ姿は、もはや愛国ではなく、承認依存の露出パフォーマンスである。

● 敵幻想と自己英雄化の心理メカニズム

 偽右の行動原理は、実体的な「敵」ではなく、敵の幻想を媒介とした自己物語の構築にある。彼らはまず、現実の複雑な問題を単純化し、「悪者」を設定する。敵を作ることで、混沌とした世界に擬似的な秩序と意味を与えるのだ。これは心理学で言うスケープゴート化の典型例であり、不安や不満の責任を外部に投影する行為である。

 次に、彼らは「戦うふり」をする。実際にはリスクを伴う行動を避け、安全な範囲で勇ましい言葉や象徴的行動を誇示する。これは代償的攻撃であり、現実的な無力感を誤魔化すための演出的攻撃性である。SNS上での罵倒や街頭での叫びは、敵への攻撃というよりも、観客へのパフォーマンスなのだ。

 そしてこの「戦うふり」が繰り返されるうちに、彼らは自らをヒーロー化していく。被害者意識と正義感を混ぜ合わせ、「自分たちは祖国を守る戦士だ」というナルシシズムを形成する。この状態は心理学的には集団自己陶酔と呼ばれる。自己愛が個人から集団へ拡大し、「われわれは偉大だ」「われわれこそ真の日本人だ」という選民幻想が強化される。

 ここで外部から批判や反応が返ってくると、彼らはさらに興奮する。敵が声を上げれば、「恐れられている」と錯覚し、自己の正義が証明されたように感じる。これは報酬的強化のサイクルであり、反応が快感として内面化される。まさに露出狂が悲鳴に興奮するのと同じ構造である。敵が反応するほど、行動は強化され、興奮は加速し、暴走エスカレーターに乗る。

 こうして、「敵を作る → 戦うふりをする → 自分たちを英雄化する → 敵の反応に興奮する」という循環が成立する。結果として、目的は戦いではなく注目の維持に変質する。偽右にとっての敵とは、戦う対象ではなく、存在証明を与えてくれる観客なのである。

 この構造の恐ろしさは、理性ではなく刺激によって自己が支えられている点にある。思想ではなく演出、論理ではなく快感――この構造を断ち切らない限り、彼らは永遠に「敵依存症」の中で興奮を繰り返すだろう。

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