ダナン(3)~ベトナム出張中の雑想いろいろ、日本とベトナムの比較

<前回>

 5年ぶりのダナン、街の変貌ぶりが大きい。ミーケビーチ沿いは高層ビルが林立し、ワイキキビーチの面影を彷彿とさせる。

 ベトナム滞在中に、グエン・フー・チョン書記長が10月30日から中国を公式訪問するニュースに接した。中国共産党第20次全国代表大会を終えて、一番先に中国の元へ飛びつくベトナムは、重大な決断をしたと思われる。嫌中国家ベトナムは経済的利益至上。米国よりも中国を取った。

ダナン滞在中

 対比的にベトナムに次ぐ2番目の中国詣でで名乗り出たのは、欧州大国ドイツ。しかし、ショルツ首相の訪中団は、反中姿勢の大臣2名となぜかメルセデス・ベンツのCEOまで中国側に訪問を拒否された。ベトナム書記長の訪中よりも接遇が格下になるとも報じられた。欧州の徹底的対中臣服も時間の問題だろう。政治が経済をリードする。

 日本はそうした意味で「親中」に方向転換せざるを得ない。好嫌の問題ではない。死活の問題だ。岸田政権はすでに認識していると思う。しかし、親米先進国であるドイツも日本もベトナムほどの機動性が持てない。ショルツ首相は国内の利害調整が容易ではないし、岸田首相もまた然り。

 実態が殆ど途上国なのに、先進国から格下げできないのは、日本の不運。

 日本は農耕型海洋国家。「農耕」「海洋」の相反性に苦しんできた。日露戦争や太平洋戦争でやっと「海洋性」が現れたと思いきや、結局組織の「農耕性」で敗戦。

 戦後の経済成長と繁栄は、たまたま経済的「海洋性」と組織の「農耕性」が親和する特殊な時期にあってその上に成り立ったわけだ。だから、戦後の40年は、非常態的に「得した40年」なのだった。その後は、「失われた30年」ではなく、常態的相反期に戻っただけ。この本質を認識できずに参照点を戦後40年に設定していると、日本人の苦痛と不幸感がただただ増大するのみ。

<終わり>

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