● 創業支援業者に騙されるな!
創業支援業者に「あなたのクライアントで10年存続率何%?」と聞いたらいい。創業支援を標榜する業者やコンサルタントの多くは、起業家の成功よりも自らの利益を優先しているのである。彼らは「誰でも起業できる」「小資本で始められる」「夢を形にしよう」といった甘美な言葉を投げかけ、創業を唆すのである。
創業が増えれば、会社設立手続、登記、会計、税務、補助金申請、マーケティング支援といった名目で顧客を囲い込み、短期的に収益を得ることができるからである。しかし、創業の現実は厳しい。10年生き残る企業は3割、20年で1割、30年で数パーセントにすぎない。
この統計的事実を、創業支援の業者は意図的に語らない。語ってしまえば顧客が減るからである。したがって、彼らの「起業礼賛」は教育や啓蒙ではなく、営業トークに過ぎないのである。
真に必要なのは、創業そのものではなく、長期にわたり事業を維持するための制度と仕組みである。創業支援業者は「入口」で儲けるが、経営者は「出口」すなわち持続において試されるのである。
● 成功体験談に騙されるな!
25年前に、35歳の私が脱サラ・起業した。若造の経営コンサルタントは、誰にも信用されない。当初顧客との会話は今でも忘れられない――。
客: 君の扱った事例を教えてくれ。
私: 御社が初めてのお客様です。
客: じゃ君自身はどのくらい儲かったのか?
私: いいえ、資産はありません。
客: 実績もない、利益も出せない、資産もない人がどうやって人様に経営を教えるのかい。
私: 誰にも最初があります。
客: じゃ、30万円の仕事を3万円でやってみる?
私: ありがとうございます。やります。
それが私のスタートだった。私は、3万円で始まった調査仕事を足掛かりに、やがて30万円、300万円、3000万円という規模へと拡大させてきた。普通ならば、これは「小さな努力を積み上げれば大きな成功につながる」という哲理のように語られるであろう。しかし、私はこのいわゆる「成功談」を自慢するつもりはまったくない。
なぜなら、その3万円の調査仕事は、今であればAIを用いれば30秒で片がつく程度のものだからである。私が幸運であったのは、ただ「AIのない時代」に生きていたことにすぎない。努力を積み上げて結実につなげることができたのは、あくまでその時代環境が許したからであり、決して普遍的な法則ではなかった。
したがって、私の経験は「成功の法則」を証明するものではなく、むしろ「成功の普遍化は不可能である」という事実を裏づける一例にすぎない。もし私が過去の成功を絶対化し、時代の変化を軽視すれば、それはすなわち「失敗の法則」に陥ることを意味する。
● 松下幸之助に騙されるな!
松下幸之助が成功したのは、物資不足の時代に「物を供給すれば売れる」という環境に恵まれたからである。もし彼が21世紀の飽和市場に登場していたならば、果たして同じ成功を収められただろうか。この問いは私にとって長年の疑問であった。同じ構造が私自身にも当てはまる。25年前、私は経営コンサルタントとして独立し、ゼロから信用を積み上げてきた。
しかし今、AIが人間の調査や分析を瞬時に代替する時代において、当時の私が歩んだ道筋をそのまま複製できるのだろうかと問われかねない。私の成功は、時代の偶然に支えられていたのではないかという不安が常につきまとうのである。
松下幸之助は、物不足の時代に成功を収めた。しかし、もし彼が飽和市場とAIの時代に生きていたならば、同じ成功を収め得たのか。その問いを彼自身は立てることがなかった。時代がそれを要請しなかったからである。私はその問いを引き継いだ。すなわち「成功は再現可能なのか」「時代が変わったとき、過去の成功モデルは通用するのか」という問いである。
これは単に自己の懐疑ではなく、AI時代を生きるすべての若者に突きつけられた宿題である。松下が提起できなかった問いを、私は提起した。そして私はその問いに答えるために、AIと共に制度を設計し、持続可能な仕組みを築くことを選んだのである。
● 「成功の法則」よりも「失敗の法則」
松下幸之助をはじめ、成功した先代や現代の経営者たちの成功そのものを否定するつもりはない。ただし、特定の時代や状況下での成功を、後付け的に体験談からいわゆる哲学へと転化する粗末さには辟易せざるを得ない。
世の中には「成功の法則」なるものは存在しない。あるのは「失敗の法則」のみである。言い換えれば、失敗が複製できても、成功はなかなか複製できない。「成功の法則」を語る経営者の体験談は、往々にして事後合理化の色彩が濃く、時代背景や偶然性を切り落として普遍化しようとする粗雑さが目立つ。
それは「自分はこうして成功した、だから皆もそうすべきだ」という一種の物語化にすぎず、普遍的な指針ではなく単なる回想録に近いものである。
一方で「失敗の法則」は、より普遍性を帯びる。なぜなら、失敗には共通の構造が潜んでいるからである。慢心(成功体験の延長で警戒を失う)、無知(環境変化への感受性の欠如)、惰性(既存モデルへの固執)、不信(人間関係や制度を軽視する)といった典型的な落とし穴は、時代や業界を超えて繰り返し現れる。
すなわち、成功には唯一の道はなく、時代・市場・人脈といった偶然的な交差の中で成立するにすぎない。しかし失敗には避けるべきパターンが存在し、そこから学ぶことのほうがはるかに実践的である。「成功哲学」に価値を見出すよりも、「失敗哲学」こそ普遍性を持ちうるのではないか。
● 成功体験そのものに再現性ない
実際のところ、誰か成功者の体験談に「従って」同じように成功したケースは、ほとんど存在しないと考えられる。なぜなら、成功談は常にその人固有の「時代背景」「人脈」「偶然的な環境条件」に支えられており、体系的に再現不可能だからである。
「成功体験そのもの」には再現性がなく、「失敗の法則」や「理念の抽出」にこそ学ぶ価値がある。つまり、他者の成功から学ぶべきは「結果の道筋」ではなく、「避けるべき愚行」と「応用可能な思考パターン」である。ほとんどの成功者が歩んできた道は、「成功の模倣」ではなく「失敗の積み上げ」を土台にした実践知そのものである。
成功談は一見華やかだが、普遍性が乏しい。むしろ、失敗を一つずつ噛みしめ、そこから「再現可能な構造」を抽出して制度や戦略に組み込んでいく姿勢こそ、他の誰も真似できない強みになるのである。言い換えれば、「成功体験の普遍化」は虚構であり、「失敗体験の体系化」こそ哲学になるということである。これは経営だけでなく、人生や政治制度、教育システムにまで適用できる視点である。
最後に付け加えておくが、「変化しないこと」が最大の失敗の法則である。





