言論自由万歳、ズケズケものをいって刺されるか

 「立花さん、いつもFBやブログであんなにズケズケモノを言って、刺されることを恐れてませんか」

 忘年会である友人から言われた。餃子の王将社長の銃殺事件があったばかりで、なるほど、心配してくれたのだった。人間はやはり死ぬのが怖いのである。私も死ぬのが怖い。が、ものを言えないのが死ぬより何十倍も何百倍も怖いのである。

 このような忠告を受けたのは決して、今回が初めてではない。私がものをズケズケいうのも今始まったことではない。そもそも、思ったことを言えないのがいやで会社を辞めて、独立したのは私だった。独立して、会社は他人の投資や資本を入れないのも、自分が考えたことをまっすぐ言えるためだった。

 ものを言わない理由は二つある。一つ、思いつかないことは当然言えない。もう一つ、思ったことはいろんな理由があって言えない。いうまでもなく、後者ほど悲しいことはない。けれど、私は、思ったことはそのまま言うのである。思ったことをそのまま言うのは子供で、大人はやはりいろんな利害関係があって、なかなかまっすぐ言えないのである。

 私はその障壁を無視する。法律を守って、顧客の秘密は言わない、誹謗中傷は言わない。あとは自分で感じたこと、思ったこと、そのまままっすぐにいうのがこの立花聡である。たくさんいえばいうほど、間違えやすい。それは百も承知で間違ったら謝罪すればいい。メンツは何もいらない。

 刺されることは怖いかというと、怖い。でも、刺されたら、死んでも、私は今すぐに死んでもまったく悔いはない。悔いのない人間を刺すほど悔いが残ることはほかにあるまい。

 それでも最近、マレーシアに住んで、ずいぶん自分は丸くなったとは思うが、まだダメか。

 「立花さんは、右翼と言われることはないか」とも言われたことは何度もあった。右も左も、見る角度が一つ変われば変わる。真ん中に立っていても、左の人から見れば右に見えるし、また右の人から見れば左と言うだろう。私はそれをまったく気にしない。

 人生は一度しかない。自由ほど大切なものはない。そのなかでも、金がたくさんあってもものを言う自由のない金持ちがいくらでもいる。私はものを言う自由を、自由の極意と思っている。私はどこの組織にも所属していない。ものを自由にいえるすべての好条件が揃っている。人生はあとどのくらい残っているか知らないが、死ぬまで、思ったことをそのまま言っていきたいと思う。

 言論自由万歳。