理想主義者・現実主義者の縦軸、善悪論よりも現実論

 私は徹頭徹尾の現実主義者。繰り返しアピールしているのは、理想主義者との最大限の「平和共存」のためだという「現実的な」目的があるからだ。

 「イデオロギーポジションマップ」というのがあって友人のフェイスブックで紹介されたので、いくつかの図を拝借した。まずは、「理想主義者・現実主義者の簡易判定テスト」。

twitter ZF phantom3(図:twitter ZF phantom)

 実は、私自身もこれに類似したテストシートを作って日常的にコンサル現場で使っている。ただ政治的な内容ではなく、経営課題に対する設問である。経営幹部研修、特に経営者選抜研修では候補者の基本姿勢(理想主義か現実主義か)の傾向を知る必要があるからだ。

 公開の場では顧客のことに触れてはいけないので、私自身を例に語ろう。「日本のイデオロギーポジションマップ」で自己マッピングすると、縦軸の最下方(重度現実主義者)、横軸のほぼ中央あたり(基本的に中道だが、他人の立ち位置によって左右とも見られることあり)ではないかと思う。もちろん、「安保法制賛同派」である。

twitter ZF phantom1(図:twitter ZF phantom)

 思想ゾーニングの図では、「利潤主義」と「国益主義」が分かれているが、実質的には利益単位の捉え方だ。個益、社益、国益といった異なる単位の利益が存在する。この辺になると、異なる利益のベクトルの調整によって双方や多方利益の最大化を図ることが私の仕事になる。

twitter ZF phantom2(図:twitter ZF phantom)

 このように私にとって理想主義者とはまったく異なる世界に生きている以上、むしろ生き方の議論よりも住み分けの継続がもっとも平和的な「現実論」になる。横軸の左右両極端にいかない限り、ほどよい理想主義は大変健全だと思うし、特に理想の実現に確実な提案をし、行動を起す理想主義者を尊敬する(一部現実主義者の範疇に入ることもある)。

 先日ある取材で「立花さんの理想は」と聞かれたとき、私はこう答えた。「私は大きな理想を持たない主義で、目前の問題を一つ一つ潰していき、時間が経ち、ふと気がついたら節目節目、その時点の現状が私の理想だったと定義付ける人間です」

 理想を先行して掲げるのではなく、結果を後付的に「過去形理想」とする生き方なのだ。自分が起業したときも、夢など欠片もなかった。上司と喧嘩して会社をやめたのは、会社は変えられない、会社を変えるくらいなら自分を変えたほうが効率的だという、現実的な判断があったからだ。

 善悪論よりも現実論。「こうであるべき」よりも、「こうするべき」である。競争の原理や強者生存・弱者淘汰という事柄の善悪よりも、自然の摂理や社会的現象として捉え、いかに弱者への転落を回避し、いかに強くなることを考え、提案し、取り組んでいくのが私の仕事である。

 その辺理想主義者や現実主義者、さらにいろんな世界観や生き方もある。互いに否定し合うこともある。そこでうまく住み分けて共存していくのは一種の現実的な解決策ではないだろうか。

コメント: 理想主義者・現実主義者の縦軸、善悪論よりも現実論

  1. 米国の言うことを何でも聞かなければならない現状の日本からすると、戦争ができる国になるということは、自らの意思にかかわらず戦争に参加しなければならないということに等しいです。

    それが必要な戦争であるか、正しい戦争であるかに関係なく、米国が必要としたら戦争しなければならなくなります。

    そのことについて、立花先生はどのようにお考えでしょうか?日本には独自の判断で動く自立性が備わっているとお考えですか?あるいは、十分に軍備を備えることで米国の判断からの自立性を備えることが可能になるとお考えですか?

    是非、ご意見を伺いたく存じます。

    1.  投稿で何回も繰り返していますが、私は戦争や衝突そのものの正義性、あるいはそれへの加担の妥当性ではなく、それがもしあった場合のリスク管理にフォーカスしています。ご提示の論点は私の今回の論旨から逸脱していますので、展開しません。ご提示のテーマは今後機会があれば取り上げるかもしれません。私自身はしかるべき信条や判断のもとで国政選挙に一票を投じます。もちろん、戦争抑制のため安保法制が必要であり、9条改正も速やかに行うべきだと考えています。

  2. 「十分な武力の後ろ盾があればこそ、相手も話合いに応じるだろう」が現実主義で、「武力に頼らず話し合いで解決すべき」が理想主義という決めつけは、ある意味、物凄い。ヤクザの発想ですね。確かにヤクザならそう考えるだろう、みたいな。この設問を作った人はどんな人なんでしょうね。話し合いで物事を解決したことがないのかな?

    たしかに、イジメなんかみると十分な武力の後ろ盾がないからイジメられるなんて解釈もできそうですけど、一方で不良同士のケンカはなぜ止まないのか?暴力団同士の抗争はなぜ止まないのか?という事態に対する回答ができないですよね。

    このおかしな設問で何かの回答を導きだそうとするのは、意図的な悪意ですかね。

    1.  適正な設問だと思います。国際政治はすべて善意が通じるわけではない。性悪説そのものが悪だとすれば、立派な必要悪だと思います。もちろん、現実主義者としての観点からです。このような私も悪と思われても、それを受け入れざるを得ません。受け入れます。喜んで・・・。

  3. 非常に参考になる図と解説でした。自分のポジション、また私は保守系ではあるのですが、その中でも様々なポジションがあるのが整理できてスッキリしました。有難うございます。

    私も住み分け、共存という考え方を持っていますし、まさにそれこそが「現実主義」であると思っていて、理想主義者はそれを良しとせずに「異分子は排斥する」傾向があるのだろうと。(平和を追求するはずの)宗教で多くの命が奪われた歴史がそれを証明しているんでしょうね。

    1.  まったくその通りです。完全賛同!そういう意味では、「異分子排斥」はまさに純粋な「理想郷」への追求なのでしょうね。

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