行動の動機と結果、「悪しき偽善」の先は偽善と真悪

<前回>

 昨日は、「偽善」にも「良き偽善」があるという話をした。行動の動機と結果を切り離して考えれば分かりやすい。動機が「偽善」であっても、結果が「真善」であればそれでいい。行動の動機よりも、結果を評価する。

 では、「悪しき偽善」の話にしよう。動機が「偽善」で結果も「真善」にならず、「偽善」のままであったり、あるいは「真悪」になったりすると、それは「悪しき偽善」である。

 それをいったら枚挙にいとまがないほど事例が出てくるかもしれないが、私自身の事例を一つ挙げよう。

 某企業の社長は自分の意思で社内でプロジェクトA案を遂行しようとして、社外コンサルタントの意見を求めることで私が呼ばれた。社長と会う前日に担当本部長からメールが来て長々と事情を説明してくれた。

 要旨は次の通り――。社長は多くの成功を積み上げた人間で大の自信家。周囲から反対意見があるとすぐに睨み付けるので、ここのところ反対意見はまったく聞かなくなった。社長は何をやるにしても多くの人を集め、意見を聞こうとする。そこで、穏便にお願いしますと。

 私はその社長のA案には反対で(もちろん根拠がある)、B案を提示しようと考えていた。本部長の暗黙なる指示に従えば、私は社長の「ご英断」を称える「偽善」を実施しなければならない。だが、その結果は、社長にとって「偽善」は「偽善」のままであり、顧客企業にとって「真悪」になる可能性が大。このような「偽善」は、「悪しき偽善」と言わざるを得ない。私がその「偽善」を実施したかどうかは、皆さんのご想像にお任せする。

 仮に、私がその「偽善」を実施し、顧客企業の社長が大変喜ばれ、案件を私に依頼したとしよう。結果は案の定失敗。実は本音をいうと、この種の失敗はコンサルタントの商売にとってもっとも良い失敗である。なぜかというと、顧客企業社長の指示に従ってやったところの失敗だから、何ら罪もないどころか(そこで失敗の原因は適当に「予想外」や「未曾有」といったものにすればいい)、その挽回措置として新たな案件の継続受注を得るチャンスにさえなるのである。

 もし、私がこのような自分の「偽善」を明かしたところ、面と向かってこの「偽善」を批判する人はどのくらいいるのだろうか。「いやいや、立花先生はできることをすべてやって尽力されたのですから、ご立派です」とさえ私を称える、そのような方が現れたとしよう。さあ、それも一種の「偽善」であれば、「良き偽善」だろうか、それとも「悪しき偽善」だろうか。これも皆さんにご判断にお任せする。

<終わり>

コメント: 行動の動機と結果、「悪しき偽善」の先は偽善と真悪

  1. なるほど。プロセスより、結果が重要だとおっしゃるのですね。真善の心があっても、真善の結果が出せなければ、偽善で結果を出し他者に劣ることになる。そう言い切るのですね。

    偽善者よ、もっと胸を張れ!きみたちは堂々としていて良いのだと。

    日本人のモラル感を、真っ向から否定する力強いお言葉です。新時代を築けるのは立花先生以外に考えられません。破壊からの創造、感動致しました。

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