「わが闘争」読書雑感、安倍首相はヒトラーに似ているか

 いや苦労した。2か月かけてやっと読み終えた。ヒトラーの「わが闘争」上下2巻。

 難解ではなく、難読の2冊。ドイツ語翻訳のせいかヒトラーの癖か、長い文言に執拗に多用される感情的な形容詞、繰り返しの表現・・・。精読したのは三分の一、普通に読んだのは三分の一、そしてざっと斜め読みして流したのは三分の一といった感じだった。

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 ヒトラーの政治思想・哲学と政治手法(群衆扇動)を知りたくて勉強を始めた。結論的に後者のほうがより実り多き勉強になった。

 ヒトラーの哲学といっても、マルクスのようなしっかりした論理的な理論基盤を持っていない。ちっとも知的ではない。その根底にあるのは生物学主義的なアーリア人種至上主義と反ユダヤ主義。本人が長い論述を綴っているが、人種論を裏付ける客観的根拠は当然ありはしない。

 「・・・に違いない」「・・・でなければならない」といった決め付けがいたるところに散らばっている。結果的にスローガンによるプロパガンダ中心の議論展開になる。ただ、その時代においてヒトラーが口にするスローガンは一種の、疑いを許さない「正義」や「正論」であったのだろう。決してわれわれが後付け的に評価したことによってその歴史的地位が変わるものではない。

 大衆蔑視がヒトラーの基本的スタンスである。大衆は愚かである。だからこそ大衆煽動、宣伝、世論操作が大切だ――。細部の知的で論理的な説明は省き、大衆の利益所在(苦痛)と感受性を狙い、大衆のために仮想敵(ユダヤ人やフランス、ロシア等列強)を作り、標語を絞り込んで信条に仕上げ、そしてとにかく何百回も何千回も何万回も繰り返す。

 最近、安倍首相をヒトラーとなぞらえるメディアや政治団体もいるが、まったくナンセンス。ヒトラーの著作を読めば、二者の根本的な違いが分かる。まず、大衆宣伝に関していえば、安倍首相はヒトラーの足元にも及ばない。演説の迫力もまったく違う。

 次に経済的背景も違う。ヒトラーが政権の座を手にした当時、ドイツは第一次世界大戦後の経済恐慌のどん底に陥り、工業生産は30年前の水準に逆戻り、失業率はなんと30%台。このような末期的なドイツ経済を、ヒトラーは就任してわずか4年で活気満ち溢れた大好況に一変させてしまった。アベノミクスは到底これと比較にならない。

 そもそも、ヒトラーは経済学の理論などが眼中にあったのかと思うくらいの奇策に踏み切ったのであった。社会保障と福祉、生産力の拡大に伴う失業抑制と就業促進、そして何よりも大企業、特にユダヤ系企業からの収奪による貧困層への救済。これは、昨今日本国内で再三批判されている新自由主義のトリクルダウン理論とは正反対である。

 さらに外交、軍事面において、ヒトラーは著書のなかでも、「自己(民族)保存のための領土拡張」を直言、明言し、その正当性を主張した。一方今日の日本ではむしろ自国国土防衛の問題で苦労しているのだから、まったく次元が違う。

 安倍首相がヒトラーに似ているか。これは言ってみれば一つのアジェンダではあるが、ただ単なる断片的なスポットだけで結論付けるのは短絡的過ぎるし、そのプロパガンダ的な浅薄さも露呈する。

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コメント: 「わが闘争」読書雑感、安倍首相はヒトラーに似ているか

  1. 全くその通りです。

    背の高さも違う、顔形も違う。腕の太さも違う。うん、耳の形が似ていると言えば、似ているな。と言った類の話ですね。

    どこが似ているかと言えば、彼らの心の中のヒトラーのイメージと似ているということなのでしょう。独裁、横暴、力による問題解決、メディア利用のうまさ、ヒトラーのイメージがそうしたものであり、同時に安倍首相を想起させるということであって、歴史的事実とは全く関係のないものなのでしょう。

    ヒトラーも、その時の歴史的状況も非常に特別なものですから、細かいことを言えば、ヒトラーと似ている者などいるはずもなく、それでもヒトラー的だと言われる人が後を絶ちません。イメージというものはそうしたものなのでしょうね。

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