反権力、反体制。そんなに格好いいのか。
それは言論の自由もない独裁国家では、ある意味で死や投獄などの危険と隣り合わせであるだけに、信念や勇気を感じさせる行為であろう。
しかし、日本のような国ですよ。何を言ったって「安倍の馬鹿野郎、死ね」だろうと何だろうと罵っても、家に帰って今日もビール飲んで寝ちゃえばよい、というような、良くも悪くも自由な民主主義国家にですよ、反権力、反体制など言っても別に何ら危害も及ばない。その気さえあれば、だれでも直ぐにでも、今から反権力、反体制ができるのだ。
蓋を開けてみると、そういう反権力や反体制の連中には、馬鹿無知の塊が多い。
否定や批判さえすれば、知性だと甚だ錯覚している。ちょっと問い詰めると、確固たる根拠もなければ、論理的な議論もできない。何も分かっていない。なぜ反対なのか、根拠や理由すら判然としない。とにかく権力だから反対だ。嫌いだから反対だ。反対だから反対だ。解らなくてもいいから反対は反対だ。
要するに何ら主体性もない。
生活が良くならない、鬱憤が溜まっている。厭世的になり、すべて権力のせいだ。そこで、反骨精神を気取って、マスターベーション的な悲愴感に酔い痴れ、気を紛らわす。
批判と反対だけなら、世の中これ以上簡単なことはない。だが、提案はできない。建設的な提案はできない。それは無責任である。いや社会に無責任という名にすら値しない。単なる、自分に対しての無責任である。
「『反権力』の時代の終わり」(2015年8月11日付「ニューズウィーク」日本語版記事)というが、偽りの疑似反権力者は、「反権力」の名への冒涜である。
熱き想いを激しく語る姿は魅力的です。
何でも反対というのは確かに頂けませんね。
羅針盤のない船は決して目的地につけないでしょうから。
しかし、立花さんが誰に向かって怒っておられるのか、わかりにくい面もあります。
SEALDsなのか、現代の若者全てなのか、日本の反権力に立つもの全てなのか、もうちょっと具体的に書いて頂けると私のような行間が読めない人間にもわかりやすいです。
炎上しないようにわざとぼかして書かれているのでしたら、すみません。
森田さん、コメントありがとうございます。一般論ですので、特定の人物を意識しているわけではなく、該当者全員に対するコメントです。行間読みも必要ございません(笑)。怒っているといえば、自分に対する苛立ちがあります。対案なき反対や批判に対し、私がこれを批判しつつも、じゃその人たちを変えてみろといわれたら即効性ある提案はありません。ある意味で、この投稿それ自体少しでもその効用があればと願っております。