● 「反中」と「Made in China」のジレンマ
米中貿易戦争は、すでに外交交渉の場を超え、SNSという公開空間へと波及している。最近象徴的な事例が起きた。トランプ陣営の報道官、キャロライン・リービット氏が「対中関税の強化」を主張する場面で着用していたドレスが、中国製レースを使った“Made in China”製品だったのである。
この事実を最初に取り上げたのは、中国・デンパサール総領事である張志昇(Zhang Zhisheng)氏である。彼はX(旧Twitter)上で、リービット氏のドレス写真とともに、中国のSNS「Weibo」に投稿された関連コメントを引用し、次のように皮肉った。
“Accusing China is business. Buying in China is life.”
(中国を非難するのはビジネス。中国から買うのは生活。)
この言葉は、単なるレトリックではなく、グローバル経済の現実を正確に突いている。現在の国際経済において、中国はすでに「世界の工場」ではなく、「世界の中核供給網」と化している。製品が「中国製」であるか否かにかかわらず、部品、素材、製造工程のどこかに中国が組み込まれているという事実を無視することはできない。
この現実を無視してイデオロギー的に「中国製を排除せよ」と叫ぶ言説は、しばしば非現実的な純粋主義へと陥る。
日本における象徴的存在が、政治系活動家「平野雨龍(うりゅう)」氏である。彼女は反中国を一貫した政治信条とし、近年では「中国製品の不買運動」を訴えるまでに至っている。SNS上では、Amazonの中国出品業者を可視化するブラウザ拡張機能の活用や、「中国製でない製品の選択」運動を紹介する投稿が散見される。
その主張は、論理的には整合している。すなわち、中国政府を利するあらゆる消費行動を控えることで、民主主義的価値観への圧力をかけるという立場である。しかし、問題はそれを自らの生活において実践可能かという点にある。
実際、「中国製でない」ことをラベルで確認するだけでは不十分である。なぜなら、原材料、電子部品、プラスチック成形品、繊維製品など、最終製品以外の工程や素材レベルで中国が供給源となっているケースは圧倒的に多いからである。サプライチェーンは、企業がすべてを開示することなく設計・管理されており、消費者がそれを完全に把握することは事実上不可能である。
すなわち、経済合理性がイデオロギーに優越する。政治的・倫理的信念として「反中」を掲げることは自由である。しかし、現代社会においてそれを実生活のあらゆる購買・使用行動にまで徹底することは、極めて困難であり、限界がある。
リービット氏のドレス事件は、ある種の象徴である。「反中」を声高に唱える者が、気づかぬうちに中国の生産物を身にまとい、中国に依存した情報端末を用いて発信している――という皮肉が、今や日常風景の一部となっている。
最後に改めて確認しておきたい。イデオロギーは行動を指導する指針にはなり得るが、経済という生存の現場においては、現実の力に従属せざるを得ないのである。

● のび太の反撃は“テロ”か“正義”か?
米国債が売られた。タイミングは完璧。まるでスナイパーが引き金を引くように、トランプ政権の関税発動1時間前に発射された。銃弾ではなく、債券。静かながら、致命的な「一発」である。これを見てジャイアン(アメリカ)は言うだろう。「これはテロだ」と。自分が関税というバズーカをぶっ放しておいて、反撃が来たら「卑怯者」と騒ぐ――それこそジャイアニズムの真骨頂である。
だが、考えてみてほしい。のび太(日本か?中国か?無名の投機筋か?)は武器を持っていない。ただ黙って、持っていた「米国債」という人質を少しだけ揺らしただけだ。言ってみれば、「あ、これ落としちゃってもいいんだけど?」と、ジャイアンの宝物をビルの屋上から指でつついたようなものだ。ここにあるのは、“相対的弱者”の持ち得る、唯一の抑止力=不意打ちのテロ的金融操作である。
お前が関税を振りかざすからだろう?お前が俺の経済をぶん殴ったから、俺はお前の債券を握りつぶしただけだ、と。ジャイアンが怒り狂って「もう貸すな!」と叫んでも、のび太は鼻で笑う。いや、もう貸してないよ。むしろ、返してくれ。
米国債は、世界の信頼の上に立つ。信頼とは「暴力を振るわない」ことへの期待値である。その信頼を踏みにじって関税という殴打を選んだのはジャイアン自身。であれば、のび太が“人質”を一人撃つのも、これはテロではなく報復であるとも言えよう。この小さな「利回りの跳ね」は、金融という静かな世界の中における、暴力の言語である。
叫び声はない。爆発音もない。だが、その威力は、大統領の演説よりも深く、通貨の信用を揺さぶる。
「経済制裁」も、「関税発動」も、「債券売り」も、すべてが現代の“戦争”の手段であり、国家という名のジャイアンに対して、のび太が取り得る唯一の“ささやかなテロ”が、そこにある。だから、これはジャイアンにとってはテロかもしれない。だが、のび太にとっては、生存戦略である。
そして最後に、もう一つ毒を加えるなら――米国債を売り始めた“のび太”たちは、案外ジャイアンの懐にいるかもしれない。つまり、自国民の年金運用担当者かもしれぬ。米ドルで儲けてきた投資ファンドかもしれぬ。敵は外ではなく、内側から牙を剥く。それが覇権の末期症状というものだ。
● 賢人と愚人の統治構造
中国の人口は日本の約10倍。その分、賢人の数も愚人の数も、それぞれ10倍になる計算だ。だが問題は「数」ではなく、「制度」がその人材にどう作用するかである。
中国は独裁的な権威主義体制にあるがゆえに、賢人は国家運営や経済の分野で成果を挙げれば、体制内で出世しやすいインセンティブ構造が働く。一方、愚人はそもそも発言の自由を持たず、社会的に抑え込まれる傾向が強い。
これに対し、日本は民主主義体制を採用しながら、実態は同調圧力の強い社会である。その結果、賢人はしばしば嫉妬や集団からの牽制によって引きずり下ろされ、埋もれていく。一方、愚人は「個性」や「自由」の名のもとに、堂々と表に出てきて、時に“活躍”すらしてしまう。
この制度的な人材処理の違いが、両国の国力、文化、技術、そして未来に与える影響は、すでに誰の目にも明らかであろう。
● 思考を奪う民主主義、反論できない「常識」の正体
私の述べている事実や主張に対して、多くの方が常識的に違和感を覚える。しかし、誰一人として論理的に反論できない。
なぜか。それは、多くの人々が抱いている「常識」なるものが、実は民主主義社会における巧妙な洗脳によって刷り込まれた「非常識」に過ぎないからである。思考力はすでに奪われ、自ら考える力を喪失しているのである。
だが、洗脳の解除と思考の再建は不可能ではない。その第一歩は、私の文章をよく読み、徹底的に読み砕くことだ。ただし、私を盲目的に信じるのではなく、懐疑の目を持って読み、問いを立て、議論を挑む胆力と勇気を持ってほしい。そもそも、民主主義という仕組み自体が、自らを「絶対善」と標榜し、疑念を持たれること、反論されること、批判されることを本質的に拒む構造となっている。
なぜなら、民主主義とは、情報弱者たる大衆を対象とした洗脳装置を備えた、独裁の変種にほかならない。私のような視点や問題提起を受け入れるだけの知的キャパシティを、民主主義社会は有していないのである。だからこそ、反論してほしい。真正面から、堂々と。私はそれを歓迎する。
● 人事コンサルタントの終焉とAI時代の評価軸
私の仕事である「人事コンサルタント」は、このままの形では成り立たなくなる可能性が高い。いや、確実にそうなるだろう。将来的には労働法の廃止すら現実のものとなるかもしれない。労働法が民法一般に吸収され、独立した法としての地位を失う日が来る可能性がある。
これまでの人事管理は「人」を対象とするものであった。しかし、人とAIが協働する環境では、AIも人事管理の範疇に含める必要がある。例えば、「勤務態度」という概念は消滅するかもしれない。AIには態度が存在せず、問題行動を起こすこともないからだ。
その代わりに、人間がAIをどのように活用するかが評価基準となる。従来の「勤勉さ」や「協調性」といった評価軸ではなく、「AIを最大限に活用し、成果を上げる能力」が問われる時代が来る。人事管理の在り方そのものが、根本から変わることになるのだ。




