上海(13)~日本人は頭を下げて中国人に学ぶ時代だ

<前回>

 3年4か月ぶりの上海訪問。印象といえば、市民のマナーの劇的な向上――。唾をペッペッと吐くとか、クラクションの鳴らしっぱなしとか、列への割り込みとか、大声でのお喋りとか、体のぶつかりとか、ほぼ見なくなった。上海はもう立派な先進国の洗練された大都会になった。進歩を超えて、大きな本質的な進化だ。

老上海の面影~錦江飯店

 中国人の素質がわずか数年でこれだけ上がったとは、驚くべき事実である。その裏に何があったのだろうか。友人の某中国人弁護士が明確な答えを用意してくれた――監視罰則

 個人情報・ビッグデータと監視カメラ、そして日進月歩のAI(人工知能)。習近平政権は2017年に、国内の治安関連に推計1840億ドルを投じた。2020年までに中国全土を網羅するカメラネットワークを導入し、交通違反からマナー順守に至るあらゆる個人情報を追跡する「社会信用システム」の整備に着手した。それがついに奏功したのである。

老上海の面影

 ルール違反やマナー違反で知らないうちに自分の社会信用が減点されたり、罰則適用になったりする。人民はこれを恐れてルールやマナーを守るようになった。その手段の善悪評価を超え、結果(目的達成)だけをみれば合格点を与えるべきだろう。では、その手段が悪かったのだろうか。

 シンガポールも同じやり方だ。「Singapore is a Fine country」というジョークがある。「Fine」という英語は、「良い」という意味のほかに、「罰金」という意味もある。「罰則あっての良き国」というわけだ。シンガポールは街並みがきれいで、治安も良く、住みやすい国で何が悪いのか?

 民主主義のいわく「人権」や「自由」とは、「義務」や「責任」が伴わなければならない。しかし、政治家は票がほしくて有権者にそんな厳しいことが言えない。そこで人間の欲望が暴走し、国や社会が次第に痛み、崩れていく。統治は、「性善説」が通用しないのだ。何よりも、まず「悪の牽制機能」を整備するのが基本中の基本。

 政治的民主主義ないし超民主主義を体験し、義務や責任の伴わない権利意識の暴走、放縦な生活を常態と捉えた国民を正常に戻すことは基本的に不可能だ。米欧や日本などの西側諸国をみればわかる。中国人民は民主主義未体験のまま、専制型支配に起源する平和と繁栄を満喫してきた。彼らが独自の道を歩んでいくことは、一種の幸運なのかもしれない。それは歴史が検証する事項である。

 中国はすでに日本を凌駕し、アジアのリーダーになった。日本人は頭を下げて中国人に学ぶ時代だ(残念ながら、それができていない)。そういった意味は、独裁専制は民主主義に勝つだろう。その兆しがすでに見えてきた。

<次回>

タグ: