中国こそが、正真正銘の資本主義国家だ

<前回>

 前編で紹介した宮本弘曉教授が、日本人貧困化の原因は「未熟な資本主義」にあるとし(同氏著『51のデータが明かす日本経済の構造』(PHP新書))、私はその主旨となる日本像を以下にまとめた――。

 資本主義ではない。
 競争がない。
 クビ切りできない。
 馬鹿でも食っていける。
 経営者のほとんどが馬鹿。
 労働生産性が下がる。
 給料が上がらない、上がれない。

 これらの特徴を中国に当ててみると、ちょうどその真逆になる。

 資本主義である。
 競争が激しい。
 クビ切りはどんどんやる。
 馬鹿は餓死する。
 経営者は賢人が多い。
 労働生産性が上がる。
 給料も上がる。

 中国は悪だと、西側が言っている。悪と知りながら、なぜ、世界の資本が中国に向かったのか?中国が正真正銘の資本主義国家だからだ。それ以外に答えはあるまい。言うならば、資本主義の本質は「悪」であり、また「必要悪」でもあるからだ。

 政治制度がどうであれ、中国は正真正銘の資本主義国家である。米国西側は「民主主義+資本主義」という組み合わせだ。すべての問題はこの組み合わせから生まれている。供給側と需要側の2つの側面から説明できる。

 供給側では、資本主義は限りなく安価な資源と労働力を求め、途上国へ進出する。中国は最大の供給国として西側の資本を引き付け、それを歓迎し受け入れた。その結果は、中国がついに世界最大規模のサプライチェーンを築き上げたことである。言い換えれば、西側の対中経済依存は、自らの資本投下によって作り上げたものだ。歴然たる事実である。

 需要側では、資本主義は限りなく市場の拡大を求め、膨大な中産階級を必要としてきた。民主主義下の中産階級の増大は、政治的権利の(要求)総量の増大を意味する。肉体労働をしなくなった西側(日本を含む)の大衆は、己が世界の一等市民と勘違いし、ただひたすら消費の貪欲にどっぷり浸かってきた。しかし、そのバラ色の日々はそう長く続かない。

 その間に中国は、資本主義のこのメカニズムを利用し、供給側では資本主義の支配者・主である資本家階級を喜ばせ、また需要側では資本主義の被支配者・従僕である一般大衆をも喜ばせた。

 マルクス時代の資本家階級には、無産階級(労働者階級)が対置された。一方、現代資本主義下では、無産階級が有産ないし中産になり、労働も肉体労働から知的労働に変わった。彼らは徐々に、搾取される労働者階級としての自覚が薄れた。しかし、形こそ変わったものの、彼らは相変わらず搾取されつつある。

 21世紀に入ると、資源の枯渇やら市場の頭打ちやら、大衆はいよいよ被搾取を実感できるようになり、彼らは民主主義に乗じて反発・反抗に出ようとした。そこで、前述した資本主義の実態を大衆に知られると、マルクスのいう階級闘争が始まるから、まずいのだ。そこで矛先を支配者階級でなく、別の方向に向けさせる必要があった。別の方向とは、内外という2つの方向が含まれている。

 内なる闘争では、民主主義の支配者階級は、多様性という美名の下で、大衆の異質性を利用し、差別という概念を拡大してきた。人種や性別、昨今のLGBTQなどがまさに好例。昔は労働者階級対資本家階級の戦いだったが、今は労働者階級甲と労働者階級乙の戦いに転じた。作戦は大成功した。

 外なる闘争では、民主主義の支配者階級は、中国の「独裁政権」やらロシアの「侵略戦争」といった素材をフルに利用し、闘争対象や仮想敵を作り上げた。対露経済制裁では、自らのルールである資本主義の自由市場メカニズムを抹殺し、イデオロギー至上の闘争に没頭した。そのやり方は、よくみると、独裁政権のやり方そのものではないか。その作戦も成功した。

 中国の為政者は、「民主主義+資本主義」の本質とメカニズムをとっくに見抜いたのである。中国が民主主義に切り替えても、米国西側の先行者優位性には勝てないし、戦えないことをよく知っている。90年代のロシアは西側民主主義に傾倒したところ、受け入れたのは西側の蔑視とNATOの東方拡張だけだった。中国はロシアから多く学んだ。「独裁専制+資本主義」という道を選んだのだ。

 私が繰り返してきたように、米国西側体制の主である支配者・資本家階級は、中国嫌いでも何でもない。バイデンの本心は親中だ。それは中国がオーソドックスな資本主義をやっているからだ。資本家階級はみんな中国大好きだ。

 言うならば、資本主義の搾取本能は、人間の欲望に起源し、際限なく拡大する。過度な民主主義的な人権や自由は、資本主義の原初的機能を妨害するからだ。この点では、むしろ現在中国のような適度な独裁専制が資本主義にマッチする。民主主義の支配者階級は非常に狡猾だ。彼らは、相容れないはずの独裁専制を、金儲けのツール階級闘争のツールという2つの対立する用途にフルに活用しているのである。

 ただし、この本質を見破る力は、民主主義のプロパガンダに洗脳された大衆には、ない。

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