ナショナリズムの正体、経済的利益と承認欲求の融合メカニズム

● ナショナリズムと経済的利益の関係

 「ナショナリズム」は、政治体制の種類に関係なく、統治者が採用する統治手法の一つにすぎない。民主であれ独裁であれ、為政者は支配の正統性を維持するために「国民的感情」という共通通貨を必要とする。マルクスの理論によれば、下部構造たる経済が上部構造たるイデオロギーを規定する。ゆえに、ナショナリズムの分析には、その裏側に潜む経済的利害関係への洞察が不可欠である。

 一般的に、貧困や不平等から生じた不満は「仮想敵」を必要とし、敵の存在が共同体の内部不満を再配分する。ナショナリズムはこの構造を利用して成立する心理的・経済的装置であり、国民感情の高揚はしばしば「心理的コストの外部化」として機能する。すなわち、民衆の怒りを外に向けることで、内部秩序を保つ政治的テクノロジーである。

 しかし、ナショナリズムの本質は単なる政治的操作にとどまらない。その背後には、経済的利害を超越した「報酬体系」が存在する。たとえば、イスラム原理主義者が爆弾を巻き付けて自爆する行為、あるいは飛行機をハイジャックして高層ビルに突入する行為は、経済的利益とは無縁に見える。

 だが彼らはコーランに基づき、ジハードで死ねば天国で超裕福な暮らしができると信じている。それだけでなく、72人の処女を妻として迎えるという教義まで存在する。すなわち、現世と来世の両方での利益が保証されているのだ。日本の神風特攻も同様である。彼らには「靖国で会おう」という来世的報酬があり、逆に敵艦に突っ込めなかった者や生還した者には、村八分という不利益が待っていた。この構造において、死は損失ではなく、報酬の獲得行為として制度化されていた。

 したがって、ナショナリズムとは感情の暴走ではなく、理性的に設計された幻想経済である。人間は損得で動くが、その損得の基準が「来世」「名誉」「永遠」といった超越的概念に転化するとき、死さえ合理化される。ナショナリズムは理性の欠如ではなく、理性の欺瞞であり、感情を用いて人間を制度化する装置なのである。宗教も国家も同様に、死後の報酬を制度化することで、現世の経済合理性を凌駕する「超越的利益システム」を構築してきた。

● ナショナリズムと承認欲求の関係

 ナショナリズムは、マズローの欲求五段階説における「承認欲求」「自己実現欲求」の歪んだ集団的充足形態として説明することができる。個人が社会的承認を得られないとき、人はその欠如を「集団的アイデンティティ」への同化によって補う。ナショナリズムとは、まさにこの集団的承認欲の代替経路である。

 人間は社会的動物である以上、自己の存在意義を他者との関係性の中で確認する。ところが、経済的貧困や社会的疎外が進むと、個人はその関係性を失う。自分の価値を実感できないとき、人は「国家」「民族」「信仰」といった抽象的共同体に自己を投影する。それは、個人としての承認を得られない代わりに、集団の一部として承認されることで自己価値を回復する心理的メカニズムである。ナショナリズムが最も強く発現するのは、まさに社会的流動性が失われ、個人が孤立化したときである。

 この構造は、経済的要因と心理的要因を接続する。すなわち、貧困や格差の拡大が「承認の希少化」を生み、承認の希少化が「仮想的共同体」への依存を誘発する。人は国家や民族という象徴に同一化し、そこに自己の価値を見いだす。その結果、国家の栄光は自己の栄光となり、国家への侮辱は自己への侮辱となる。こうして、理性的判断は感情的同一化に置き換えられ、個人の承認欲求が国家イデオロギーの燃料に転化する。

 ここのところ、日本の貧困化に伴う(似非)保守右翼の台頭も、この理論で説明できる。承認の源泉が「他者の評価」ではなく「敵の存在」に依存する点にある。敵がいなければ、承認が維持できない。ゆえに、ナショナリズムは必然的に「敵の創造」を伴う。敵の否定によってしか自らの正当性を証明できない承認構造――それが戦争心理を永続させる。

 したがって、マズロー的観点から見れば、ナショナリズムは「承認欲求の集団的代償システム」であり、同時に「承認の供給源を外部敵に依存する危険な構造」である。

 上記述べたことについて、善や悪という価値的倫理的判断を差し挟む余地はない。言ってみれば人間の自然体である。

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