原告が被告を裁く、法と正義の原理に悖る東京裁判の実態

<前回>

 AさんとBさんが喧嘩する。その喧嘩は口論から殴り合いにエスカレートした末、Bさんは負けた。そこで裁判になる。裁判官はAさんのお父さんや関係者たちである。さあ、あなたがBさんだったらどうしますか。そのまま裁判を受け入れますか。

 不公平だ。偏りの判決になり、Bさんにとって不利な判決になることが目に見えている。Bさんは申し出る。「あの、裁判はいいけど、公平、公正な裁判にしてほしいから、その裁判官は中立的な第三者にしてくださいよ」。当たり前のことだ。

 「裁判官忌避申立」――。難しそうに聞こえるが、平たく言ってしまえば、裁判を担当する判事らが裁判案件の利害関係者である場合、その判断ないし判決は偏る可能性があるから、そのような関係者を外して、代わりに利害関係のない別の判事を指定する、という原告・被告当事者双方の権利を守り、公正な判決を確保するための手続である。

 この「裁判官忌避申立」ルールは民主主義国家であれば、どこにもある常識的な手続だが、東京裁判では完全に無視されていた。つまり、喧嘩の勝者であるAさんは敗者のBさんの要求を一蹴する。「何を言うんだ。お前は喧嘩に負けたんだぞ。無条件ですよ、無条件に降伏したのだから、大人しくおれの裁きを受けろ」

 東京裁判を担当した判事は11名いた。その11人の判事がすべて米英等戦勝国側の人間だった。要するに、全員原告側の判事が被告を裁く裁判なのだ。公平、公正な裁判を行うために、基本的に案件(戦争)に無関係な国から判事を派遣してもらうべきであろう。米英等戦勝国から指名された人間は判事席ではなく、証人席に座るべきであろう。しかし、「裁判官忌避申立」は一蹴され、東京裁判が進められた。

 罪の有無、罪の軽重を語る以前の問題、裁きの「場」の合法性をまず問われるべきであろう。

 11名の判事が全員戦勝国側の人間であるにもかかわらず、最終的判決の段階において、なんとその中の一人パール博士が日本国の無罪を主張し、一人だけ反対意見の判決書を提出したのだった。そして、もっと大事なことがある。パール博士は東京裁判の11名の判事の中、唯一の国際法学者だったことを忘れるべきではない。

 さらに、1952年、パール博士は国際連合国際法委員会委員に就任し、同職を1967年まで務め、その間1958年度および1962年度に、同委員会の委員長を務めた。国際連合国際法委員会は、1947年国連総会によって設立された国連の組織である。今まで条約法に関するウィーン条約など、国連の重要な条約の起草を行ってきた、いわゆる国際法の最高権威機関である。

 この国際法委員会委員を15年も務め、そして2度委員長を歴任した方が、東京裁判では、「日本国無罪」の判決を下したのであった。この一連の事実は絶対に看過できない。しかし、これらの事実を完全に知っている日本国民はどのくらいいるのだろうか。なぜ、知らされていないのか、知られたら誰が困るのか、これを考えずにいられない。

 東京裁判は、「実質的正義」以前の問題で、「手続的正義」の欠落はあまりにも明白な事実である。だから、東京裁判は違法であり、不正義な「勝者が敗者を裁く、原告が被告を裁く」裁判である。私はそう確信する。

<次回は、戦後プロパガンダの愚民政策を書く>

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