戦争はなぜなくならないか、東條英機氏の遺書を再読する

 「私は戦争を根絶するためには慾心を人間から取り去らねばと思う。現に世界各国、何いずれも自国の存在や自衛権の確保を主として居る(これはお互い慾心を抛棄しておらぬ証拠である)。国家から慾心を除くということは不可能のことである。されば世界より今後も戦争を無くするということは不可能である。これでは結局は人類の自滅に陥るのであるかも判らぬが、事実は此この通りである。それ故ゆえ、第三次世界大戦は避けることが出来ない」

 東條英機元首相公的遺書の一節である。現代日本人によくよく吟味してほしい。この論は今日の世界においても、そのまま通用する。この論は何ら発明でも名言でも何でもない。自然の摂理を淡々と述べただけである。しかし、この自然の摂理を忘れ、あるいは隠し、大義名分や美辞麗句の「平和」を唱え続ける人間が増殖している。こんな不気味な世の中ほど怖いものはない。

 欲心!

 私自身も欲心ある人間である。欲心無き高尚な方がおられれば、どうぞ、こんな欲心ある私を存分に軽蔑し、罵り、唾棄なさればよろしい。すべて甘受する。そして明日にも私は決して生まれ変わることなく欲心ある人間であり続け、ずっと死ぬまでであろう。一点だけ弁明する。それが私が悪の確信犯ではなく、欲心の本能が私の肉体と魂のなかに刷り込まれているからである。

 でも、こんな欲心ある私でも、決して盗みに走らない。それはなぜであろう。法律と倫理という二つの規範があるからである。倫理が堕落したならずものが盗みに手を出した場合、法律という最終的強制制裁が待っている。それが悪のけん制という。

 欲心ある人間の集結が国家である。その国家がいわば欲心の塊である。そこからが問題だ。欲心ある人間を規範するのは法律と倫理だが、欲心ある国家を規範するのは何か。いわゆる国際法は国家に対して強制力があるのかというと、その答えは明らかである――ない。強制権をもち強制力を発動できる実体は存在しないからだ。であれば、倫理だけだ。

 世の中、すべての国家、すべての人間が倫理の規範だけで平和が保てるならば、法律たるものはまったく無用の長物になる。平和憲法がなぜ存在するか、それは世界が不平和だからこそあるものだ。戦争放棄や戦力放棄がなぜ模範として称えられるか、それは戦争は世の中から消えることがありえないからだ。戦争はなぜなくならないか、それは人間からも国家からも慾心を取り除くことが不可能だからだ。

 これが自然の摂理である。善や悪の判断を挟む実質的な意味はない。自然の摂理は、善だろうと悪だろうと、好きだろうと嫌いだろうと、正視しようと目線をそらそうと、それは永遠に存在する。戦争が悪い。戦争反対と叫ぶ人がいる限り、戦争は地球上から消えない。

 67年前の今日、昭和23年12月23日0時、東條英機元首相ら以下7人「A級戦犯」達が処刑された。東條氏が残してくれた遺書を読みながら、今日の世界をもう一度眺めてみようではないか。

 合掌。

<次回は、東京裁判に触れてみたい>

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コメント: 戦争はなぜなくならないか、東條英機氏の遺書を再読する

  1. 誠に真理です。

    戦争は決してなくならない。

    世の中から夫婦喧嘩がなくならないように。

    確かに仲良くやっている夫婦もいるが、夫婦喧嘩そのものが世の中からなくなってしまうなどと考えるのは、妄想以外の何物でもない。

    夫婦喧嘩がなくならないのは、人間としての本能、欲望、雄雌関係の真理であるからだ。もう、これは好きだ、嫌いだ、善だ、悪だの問題ではなく、永遠の真理なのだ。

    夫婦喧嘩が悪い、夫婦喧嘩反対と叫ぶ人がいる限り、世の中から夫婦喧嘩はなくならない。

    この自然の摂理を忘れ、或は隠して、夫婦円満を唱えるなど現実無視も良いところだ。

    夫婦喧嘩を世の中らなくそうと思ったら、夫妻の双方が物理的にも、知能的にも、知識的にも、法律的にも強く詳しくなり、双方をけん制しあえる、抑え込める力を持たなければならない。男であれば筋肉質な体と力強いリーダーシップも武器の一つだし、女であれば優しい笑顔や涙もまた武器になるだろう。いや、今の時代、各々が逆の武器を持ち合うこともあるだろう。

    お互いを思う心や優しさだけで、夫婦喧嘩が世の中からなくなるなどということは決してありえない。武装せよ。世の中の夫と妻よ。武装せよ。それが世界中から夫婦喧嘩をなくす唯一の方法である。

    問題は、夫婦喧嘩がなくなる=夫婦円満でないってことでしょうか。それもアリですよね。非現実的な最善策より現実的な次善策でいきましょう。

    1.  いやいや夫婦喧嘩まで原理を運用されるとは、素晴らしいです。夫婦喧嘩が激化した末最終的に裁判所が仲裁、あるいは判決、最後に大事なことに強制執行(離婚や財産分配、子供の養育権など)もしてくれる。ただ国と国の喧嘩は、このような強制力が存在しないのが夫婦喧嘩との本質的差異ですね。

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