被害妄想と悲愴感に酔い痴れる高揚感、反安保英雄物語

 被害妄想、被害願望、被害物語による悲愴感の醸成、それに酔い痴れる快感・・・。

 最近、一部の反安保者がヒステリック化している。それを見ていると、心の病でもかかっているのかと感じた。理性的な姿勢を保つはずの学者まで狂ったように口汚く罵る。それは何かのメンタル問題ではないかと。

 人間は注目されないとき、何かしら不運に陥ったとき、あるいは相対的弱者に転落した時、すべての不利要素の原因を突き止めるべく、要するに「敵」が必要なのだ。なんというか、進んで被害者意識を膨張させ、加害者いや、ほとんど疑似加害者だと思うが、それを仮想敵に定め、藁人形に五寸釘を打ち込んで大声で「死ね」と叫ぶ。しかも、このような層が軍団となれば、叫び声が一層大きくなり、太鼓をたたくとそのリズムに乗り、どこかの原住民のように熱血が沸騰する。

 私自身もそういう体験を持ったことがある。会社を辞め、路頭に迷ったとき、「会社が悪い」と憤りを覚え、それが気がつくと特定の会社よりも一括りの「会社」になっていた。次第に被害者意識が芽生えたのか、悲劇の主人公になった気分で悲愴感が一層高まる。幸いか不幸か、このような「私」が一人の「私」だけだったので、ついに一大勢力になることはなかったし、熱血が沸騰することもなかった。あとから冷静に考えると、自分の被害妄想に過ぎなかったのではないかと。

 妄想には根拠や論理が不要だ。ストーリーと呪いだけでいい。被害者の役柄になりきった時点で、その悲愴感がどんどん増幅し、いよいよ悲劇のヒーローやヒロインに変身する。そのような非日常的な自分に酔い痴れ、甘美な高揚感を覚える。特に観客がいて舞台に登ることができると、どんどんエスカレートしていくだろう。

 心理学の専門家でもない私がこうして語るのも根拠がないので、せいぜい自称妄想体験者のトラウマ体験談としての位置付けだけで十分であろう。

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