隣の家。内装工事が始まったのは、2月上旬。
2か月ほど経過したところ、そろそろ工事が終わるかと思ったら、一向に終了する気配がない。建物自体がどんどん取り壊され、骨組み一歩手前の状態になりつつある。
内装どころではない、改築だ。と思ったら、同じような「内装」現場が敷地内に何箇所もある。どこも骨組み一歩手前の状態だ。これ、改築じゃないかとマレーシア人に聞いたら、「いや、内装だ」という。
改築となると、建築行為に当たり、建築許認可の手続が必要になってくる。それが時間がかかり煩雑なので、一応建物本体の柱や梁といった構造上の骨格部分をそのままにし、「壁」をいじくることで「内装」で済ませる。
壁は空間の仕切りであって、壁が変われば空間も変わる。壁に付設する開口部(扉や窓)が変われば、動線も変わり、空気の流れも変わり、景色も変わる。空間の改変によって、建物それ自体がもつ意味も変わってくる。
人間はそれぞれ居心地の良い、快適空間を求める。それが故に、空間の意味は建物内という可視的な空間にとどまらず、広義的にその人を取り巻く社会的空間をも意味する。
自分が所有する住居や自動車といった私的空間を意のままに変えられても、公共・社会的空間はそう簡単に行かない。そこで、公的空間から逃れて私的空間に逃げ込めば、引き篭もり族の誕生となる。
心の壁を作る。ニュアンスがあまりよくない表現だが、結果的に人間が自分の快適空間を確保するための手段に過ぎない。
「融和」と「対立」の間に、「棲み分け」という状態があってもいい。壁を作ってそれぞれ自分の快適空間を確保する。あまりポジティブではないかもしれないが、妥協策として、「対立」や「闘争」よりはましだ。
現代社会において、価値観の多様化に伴い、「融和」と「対立」の対極論が時々危険である。それよりも、「棲み分け」という中間状態に積極的な意味を持たせるべきであろう。
壁を作ることも時々必要だ。第3の道として・・・。