自由と不自由、会社辞めて有給を請求できるか

 自由。――所謂リベラル系の人がよく口にする言葉だ。

 でも、「自由」の本義は分かっているのだろうか。「自由」とは、責任や義務を伴うし、自己責任によるリスクも引き受けなくてはならない。

 言い換えれば、「自由」にはたくさんの「不自由」が同伴している。「不自由」を引き受けてこその「自由」である。「不自由」を拒絶しての「自由」の要求は、甚だ自己矛盾である。そういうところ、偽リベラリストが馬脚を現すのだ。

 自由を求めて会社を辞めた人は、会社、いや社会に有給休暇を求められるか?

コメント: 自由と不自由、会社辞めて有給を請求できるか

  1. 「自由と責任」また「自己責任」。新自由主義者がよく口にする言葉です。

    資本主義は、封建主義の楔から人々を解き放ち、或いは農村から労働市場へと追いやることによって初めて成立しました。そういう意味で、自由は個人にとって必要なだけでなく、労働を自由に使いたい資本家にとって何よりも必要なものだったと言われます。

    資本家側に立つ人間は、自由になった人間に責任を求めますが、果たして資本家側は自由の名のもとに勝ち得た労働市場、それを提供する社会に対して十分な責任を果たしているのでしょうか。

    資本家が利潤追求のために無思慮に開発を続けた結果の環境破壊、人間の再生産を不可能にするほど労働力を摩耗させた競争で社会を疲弊させた責任、これらの責任を負うつもりはあるのでしょうか?

    労働者の責任を追及するものは、果たして資本家の責任についてどのように考えているのでしょうか。是非、知りたいものです。

    1.  資本家が利潤追求をやめ、資源開発もやめ、労働力の消耗もやめた場合、労働者は労働から解き放され、解雇される。すると、資本家は雇用という社会的責任をなぜ負わないのかと、労働組合が叫んで抗議する。それは矛盾なのです。

       やがて、資本家は人工知能を使い出す。すると、労働者は「搾取される」機会すら得られなくなります。その労働者はブルーカラーだけではない、ホワイトカラー、弁護士や銀行マンまで労働から解き放されます。それだけでなく、一部の資本家も市場から追い出され、どん底に転落する。

       それって誰の責任ですかね。付言しておきますが、文中では私は「自己責任」と言っています。自己責任を引き受けるかどうかは自由です。それは自分に対して責任を負うかどうかのことですから。

       あなたの観点を変えるつもりはありません。私は自分の観点を変えるつもりもありません。故に互いに相手の時間を「搾取」せずに、この議論をここで打ち切りましょう。今日も良い1日でありますように。

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