私はこうして会社を辞めました(30)―金メダルと豪州社員旅行

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(敬称略)

 90年代当時、中国の金融情報市場のメジャープレイヤーは、英国のロイター通信社と米国のテレレート(旧ダウジョーンズ系)だけだった。今世界中を大活躍するブルームバーグは、90年代末までは中国で無名だった。

 そこで、私の仕事は新規顧客にロイター端末を売り込むだけでなく、テレレート社の既存客を奪うことも重要任務とされていた。一通り、ロイター情報を売り込んだ時点で、目を付け始めるのは競合相手のテレレート端末だった。如何にテレレートを追い出し、ロイター端末を取って代わらせるかである。「追い出し作戦」は非常に難しい。ユーザーの使い慣れた端末を変えさせるには、じわじわ時間をかけてゆっくりとロイター端末の良さを知ってもらうほか手がない。

 競合社の追い出しは「コンペティター・キックアウト」といって、通常のセールスよりも難しいことから、通常の営業コミッション以外に、特別表彰が付く。それは、金貨だった。平均して三社ほど「追い出し」に成功すれば、金貨一枚授与される仕組みだった。金貨そのもののゴールドの価値よりも名誉だった。金貨獲得を目指して、当時ロイターの営業マンたちが張り合っていた。

22511 競合社追い出し、私がいただいた特別表彰の金貨

 ロイターのアジア太平洋地域では、優秀従業員の年会が催される。私が上海赴任した当初の年会がインドネシアのバリ島であった。しかし、そのとき私が最初の一歩を踏み出せずに業績が最悪だったため、参加資格を得られなかった。その次の年会は、オーストラリアのサンシャインコースト(ゴールドコーストの近く)で開催された。日本や中国のほかに、オーストラリア、ニュージーランド、香港、台湾、韓国、シンガポール、タイ、マレーシア、ベトナム、インドなどからも総勢数百名のロイター社員が集まり、盛会となった。昼間はセミナーや研修だが、夜になると花火を打ち上げてのドンちゃん騒ぎ、各国の社員はそれぞれの民族衣装やパーティー衣装で出席する。われわれがロイター中国から来たわけで、男性が人民服、女性がチャイナドレスでパフォーマンスを披露する・・・

 日本企業で言えば、社員慰安旅行だが、ずいぶん派手な慰安旅行だった。

 4日ほどの豪州年会が終わると、上司のジョンソンから「ついでに遊んで帰ろう」という掛け声で、年会開催地のブリスベーンからシドニーに飛んだ。実は、その社員慰安旅行には、ジョンソンの奥様と私の妻も航空券自己負担で同行していた。四人グループでシドニーで三日間の休日を満喫した。

22511_3 思い出の地、私と妻が結婚式を挙げたシドニー市内にあるハンター・ベイリー記念教会(Myspace.com写真)

 南半球の空は青い。格別に青い。

 シドニーは、私が妻と結婚式を挙げた、人生の思い出の地である。二回目の再訪は、慌しい観光もなく、ゆっくりとシドニー湾の夕日を眺めながら、豪州産のワインを存分に楽しむことができた。

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