私はこうして会社を辞めました(29)―ロイター見ていませんか

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(敬称略)

2247096年、酒井法子さんと上海コンサートの打上げ内輪パーティーで、当時彼女の「碧いうさぎ」が上海でヒットしていた

 1996年は、ロイター中国にとって、売り上げ倍増の全盛期だった。私の上司だったシンガポール人のダニエルは、東アジア統括総経理として、ロイター香港駐在の栄転となった。新たに、ジョンソン・ラオ(仮名)という華僑系マレーシア人が上海に来て私の上司になった。

 「立花さん、あなたの給料が私よりも高い」、新任の上司が私に言う。それが本当だった。ロイターの中では、ジョンソンも私も同じ駐在員扱いだが、彼はマレーシアベース、私は日本ベースである故に、基本給にも若干の差が付けられている。それでも、彼は私よりも高いポジションで管理職手当が厚かった。彼が言っている給料のギャップは、主に、私が受け取っている営業コミッション(歩合制)で生じていたものだった。

 ロイターは典型的な欧米型人事制度を導入している。営業コミッションの比重が高い。営業職は契約を取れなかったら、コミッションがなくなる。収入が減る一方、コミッションをもらえない奴は、無能だと周りから冷ややかな目線を浴び、会社を辞めていくしかないのだ。

 1996年当時、私管轄下の中国大陸全土の日系法人顧客市場では、ロイターの占有率は、94%にも達した。私の営業コミッションもかなり高額なものになっていた。

 「ロイターを見ていませんか」

 「情報端末」や「情報サービス」のことを決して口にしない。その代わりに使う言葉は「ロイター」である。これは、私のトステム時代の上司の口癖から得たヒントだった。その上司は、「複写機」のことも「コピー」のことも「ゼロックス」と言っていた。「すまんが、ちょっとゼロックスしておいて」部下にコピーを頼むときはそんな感じだった。

 「ゼロックス」が「コピー」の代名詞であれば、「ロイター」は「情報」の代名詞だ。私が編集した日本語版ロイター情報の営業資料に、「情報端末」は「ロイター端末」、「情報サービス」は「ロイターサービス」に書き換えられていた。

 「ロイター」の中国語は、「路透」(ルータウ)である。「透明な情報チャンネル」という意味で、それほど素晴らしい訳はない。私退職後のロイターは、2008年にカナダの金融情報サービス、トムソン社に買収され、社名が「トムソン・ロイター」に改められたが、なんだかパッとしないネーミングで、私の中には、「ロイター」はいつまでも「ロイター」であり続ける。

 1996年、ロイター中国の日系法人顧客は、上海を中心に、北京、天津、大連、無錫、蘇州、広州、深圳から一番南の海南島まで点在し、94年私赴任当時の7社から60社近くまで市場が急成長した。私には、上司のジョンソンから月次営業目標値を与えられていたが、最盛期の新規売り上げは、目標値180%達成というロイター社アジア地域のトップセールスとして、記録を更新し続けた。

「ロイターを見ていませんか」、中国市場で一世風靡の時代だった。

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