私はこうして会社を辞めました(28)―暗黒街のロマンス

<前回>
(敬称略)

 1996年、ロイター中国が全盛期に入った。業容拡大とともに、外灘近くの中匯大厦にある事務所もどんどん手狭になり、一年半の内に二度も館内引越の羽目になった。

 中匯大厦は、1934年9月竣工で今はもう築75年の古いビルである。当時は「中匯銀行」の本店として建設され、初代オーナーは上海暗黒街のボス、杜月笙だった。杜月笙は中国の秘密結社、名門マフィア「青幇」の首領で、伝説的なギャングスターである。1920年代から1930年代にかけて黄金栄、張嘯林とともに上海暗黒街の三大ボスとして君臨し最も勢力が強かった。

22438杜月笙の妾、孟小冬(百度資料写真)

 杜月笙というギャングスター自身よりも、彼と上海一の美女・孟小冬のロマンスがはるかに有名だった。孟小冬は京劇で男役を演じ、梅蘭芳とも激しい恋に落ちるが結ばれず、最後に愛人関係にピリオドを打ち去っていく女性として、映画『花の生涯—梅蘭芳』で知られている。

22438_2 杜月笙(百度資料写真)

 泥沼化された不倫の恋というか、ロマンスというか、オールド上海には、実に大胆奔放な男女関係が「美」として捉われていた。そもそも、「不倫」は、中国の歴史には適法化することができたのだ。妻以外の女性を公式に「妾」として迎え入れ、妻にも認めてもらえれば、なんら問題もなく適法な存在となるのだ。皇帝自身も百名超える「妃」を持つが、事実上「正妃」の「皇后」だけが「正妻」であり、あとはすべて「妾」だった。

 皇帝が国家の頂点に立ち百名以上の「妃」を持つ。以下大臣も官僚も民間人の富裕層も、「妾」の人数や品質で身分を誇示する風潮があった。一家の旦那様を「老爺」(ローイエ)と言い、その「老爺」に仕える「妾」が多い時十数名、少なくても数名、細々とかろうじて商売を営む中小企業の社長でも一人くらい「妾」を持たないと、メンツが立たない。

 何も皇帝や古代の話でもない、オールド上海のマフィアでもない。今の中華圏でも、「妾」が健在だ。あのマカオのカジノ王スタンレー・ホー(何鴻燊)氏はいまでも公の場で、「妾」と共に出入りしているし、メディアの取材にも応じるほど「オープン」的だった。

 「妾」のことを、中国では、「姨太」(イータイ)という敬語で表す。香港辺りの新聞は、「カジノ王スタンレー・ホー(何鴻燊)と彼が一番可愛がっている四姨太と○○○の式典に出席」という風に報道している。「四姨太」とは、「四番目の奥様」のことである。「姨太」のことを誰もが変な目で見ないどころか、成功の頂点に立つスタンレー・ホーのことを羨ましがる一方だ。

22438_3 マカオのカジノ王であるスタンレー・ホーと姨太(妾)たち

 日本では、「二号さん」という名前がある。妻がいる場合は「二号」、妻と一人目の妾がいる場合は「三号」と呼ばれる。現代中国も日本も、既に婚姻している男性が同時に二度目婚姻(重婚)することが法的に禁止されているため、妻と同様に扱われていても妻と同じ法的地位は得られない。「妾」の存在は、社会的に隠されず、公表されるもので、妻も承知しているものである。この点、妻に秘密にする不倫とは大きく違う。

 現代中国では、「妾」という古風の名称がなくなったが、新たにできた名称は、「小蜜」(ショウミー)だ。もともと、「蜜」(ミー)という文字は、同音の「秘」(ミー)から来ているらしい。「秘」とは「秘書」のことで、老板にもっとも近い存在でしばしば老板の「二号さん」になれば、「秘かな」「蜜」のような関係を持つようになり、「小蜜」というわけだ。

 昔中国の女性は、自分のことを謙遜語で「妾」(チェ)や「妾身」(チェセン)というが、いまは、立場が一変した中国女性は、旦那いじめに余念がない人もいれば、社長や役人の「小秘」になる人もいる。社会が進化したというか、多様化したことは事実であろう。

22438_4 いまの中匯大厦

 日本でも、以前妾は不道徳なものではなく「男の甲斐性」の象徴として是認する風潮があった。法的にも明治3年に制定された「新律綱領」では妻と妾を同等の二親等とすると定められていた。 「○○さんの妾になる」と直接的な表現は用いず、「○○さんの世話になる」という間接的な表現を用いることが多い。確かに、これは現世においても通用する。「世話になる」の一方では、「世話をする」というのを「男の甲斐性」と理解しても良い。そのような気がする。

 90年代、ロイター上海が入居する中匯大厦は、なぜか、古き時代暗黒街のロマンスの名残を強く感じさせてくれるビルだった。

 後、私が独立して創設したエリス・コンサルティングは、何と、その中匯大厦の一室、しかもロイター上海だったあの602号室に入居したのだった。

<次回>