私はこうして会社を辞めました(27)―私は高所恐怖症の伝書鳩

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(敬称略)

22411 私のロイター社員証、古いロイターのロゴがいかにも電気通信革命に伴う情報産業の飛躍を物語っている

 1995年秋、上海に何回も強い台風が襲来した。

 台風が少し収まった翌朝、私の直通電話が鳴りっぱなし。ロイター情報は、当時専用アンテナで受信していた。強い台風で屋上のアンテナの向きと角度がずれ、受信に障害が生じたのだ。しかも、一斉に電話が殺到するから、地獄を見る。

 エンジニアの人手が足りない。私も一緒に手伝う。ビルの屋上に私がよじ登る。恥ずかしいながら、私は建築出身だが、実は正真正銘の高所恐怖症なのだ。一部のビルでは、屋上に出るには、90度直立の簡易梯子しか設けられていない。梯子というよりも単なる足場だった。台風が去ったとは言え、まだ風が強い。ゴーゴーという強風の中、梯子がガタガタして揺れ、雨もポタポタと止む気配がない。

 スーツが邪魔になるから脱ぎ捨て、ネクタイを首にぐるぐる巻きつけて、さあ行くぞ。一歩、二歩、暗雲が快速に移動する空へ接近してゆく。ポタッ、しまった、雨が目に入ってコンタクトレンズがずれた。片目しか見えない。両手は死ぬほどしっかりと梯子を握り締めてコンタクトレンズを直す余裕などはない。目が見えない方がかえって怖くない。思い切って一気に突進、屋上だ。ヒマラヤ登頂にでもなったような気分だった。

 しかし、問題はこれからだ。アンテナの角度の微調整が必要で、「こんな感じで良いんです?」、「あ、先映ったけど、また消えた」、「これでどうですか?」、「うん、もうちょっと」、「どうですか?」、「OK、OK!これで良し!」こんな感じのやり取りが必要だった。当時、携帯電話がまだ普及していなかった。携帯電話がなければ、トランシーバーしかない。でも、トランシーバーはビル管理部の業務用で、部外者の私に貸してくれない。ここまでくれば、私が人間伝書鳩になるしかない。屋上とお客様のオフィスの間に、三往復すれば大体アンテナが正常な位置に戻る。恐怖の直立梯子もなんのその制覇。人間伝書鳩が勝った!

 ロイター通信社の原点は、伝書鳩だった。創業者のポール・ロイターは、伝書鳩を使ってブリュッセル―アーヘン間の情報のやりとりを行う事業を始め、列車を使うよりも早い伝書鳩のおかげでパリ株式市場の情報をいち早く伝えることができたのだった。

 雨でびしょびしょになった私を見て、クレームを付けたお客様が頭を下げた。「ロイターは伝書鳩です、雨で休むわけには行きませんから・・・」、私は体がぶりぶり震えながらも、やっと少し冗談を言う力が湧いた。

 会社に戻ると、早速台風対策の策定を始める。工事部のエンジニアたちにアンテナの角度固定工事の着手をさせる一方、顧客所在の各ビルのアンテナ設置場所・角度のディテールを図面・データ化した。同時に、万一の端末サービスの中断に備え、各顧客の必須ロイター情報の一覧を整備した。それに基づき、サービス回復するまで、ロイター上海事務所から臨時ファックス送信サービスを行うものだった。

 その後台風によるアンテナ不都合の発生率がほぼゼロになった。その代わりに別の回線トラブルでサービス障害を起こした事故が後日あったが、ファックスサービスが威力を発揮した。事前に準備しておいた顧客の必須情報データリストに基づいて、ロイター上海事務所で5分毎に画面プリントアウトして、それをファックスで顧客先に送った。とても感謝された。

 色々な問題でトラブルを起こし、お客様に怒られ、またそれを一生懸命に解決し、その繰り返しでお客様との絆が強くなった。

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