私はこうして会社を辞めました(31)―激怒の顧客

<前回>
(敬称略)

22539 96年、ロイター通信社ロンドン本社前

 リーン、リーン、電話に出ると、いきなり怒鳴りつけ。日本国民銀行北京支店(仮名)の日本人担当者だった。

 その日本国民銀行北京支店は、支店長室に新規1台ロイター端末を注文した。日本人担当者のクレームは、「ロイターの工事部担当者が設置に来たが、あいにく支店長が急用で会議に入ったため、秘書が来るまで待ってくれと工事担当者に伝えたにもかかわらず、工事担当者が無断で設置工事を始めた。しかも、支店長卓上の書類を勝手に移動したため、支店長が激怒した」という状況だった。事件に対する謝罪と事後処理にすぐに北京へ来てくれと求められた。

 時間は、夕方6時を回ったところ、これからすぐに北京へ飛んでも顧客の事務所に到着するのが夜11時頃。明日の朝一番しかないと思ったが、口に出したのは、「分かりました。すぐに北京へ飛びます」だった。

 着替えを取りに自宅へ戻る暇はない。そのまま空港へ直行。虹橋空港に到着したのは夜7時過ぎ、そこで8時のフライトのチケットを購入すると顧客へ電話し、深夜11時頃の到着を告げる。そのとき、お客様は随分落ち着いたようで、「事件も解決済みで、謝罪は翌月の次回定例訪問時で結構です」と即日北京訪問の要求を撤回した。しかし、私はそのまま飛行機に乗り込んだ。

 翌日朝一番ロイター北京事務所で工事部、営業部の関係者会議を招集した。工事部担当者は昨日の状況について、「待ってくれと言われて一時間ほど待ったが、支店長も秘書もなかなか来ないので、工事をするかしないかと他の中国人スタッフに聞いたら、して良いと言われて工事をした」と自分の無実を主張した。

 問題の所在がある程度浮上した。顧客サイドの責任者の確認制度がなかったことにあった。顧客の事務所の中に様々な従業員がいるが、その人が指示の権限を持っているかを判明する必要があった。工事実施マニュアルの改訂にすぐに着手する。内部「工事指示書」のほかに、顧客向けの「工事カルテ」を設け、新規設置工事だけでなく毎回の修理やメンテナンス記録もきちんと残し、双方担当者の署名制に改めた。工事に際して、まず工事通知を発送し、日時、ロイター側の工事担当者・責任者を明記する。そして、顧客にも、現場管理責任者を指定してもらう。工事やメンテナンスに関して一切その現場管理責任者が一括窓口としてロイターの工事担当者に指示を出す。顧客現場管理責任者が不在又は連絡不着の場合、工事を行わないで延期とする・・・

 早速、制度の変更を文書化した。昼過ぎ、謝罪文と共に制度改善の詳細を記載した文書を封筒に入れ、日本国民銀行北京支店を訪れた。案の定支店長も担当者の日本人も外出で会えなかった。とりあえず、書類の封筒とメッセージを預け、私は夕方の飛行機で上海へ戻った。

 翌日、日本国民銀行北京支店の日本人担当者からお礼の電話が入った。ロイターの素早い対応を賞賛する一方、自行内の権限授与の不明確について逆に謝罪した。「ロイターの制度改善を見て、当行行内管理上の不行き届きが露呈し、改善の余地を深く感じたところです」というメッセージだった。

 情報サービスという商品を介して、ロイターと顧客がコミュニケーションを持つ。せっかくのご縁でできた関係だが、商品の売買という一線を越えた付き合いを持ちたい、さらにそれを契機に互いに付加価値を作り、互いの管理品質を高める、というのは私の考えだった。

 「危機」を「機会」に変える。それは後日、私がコンサルタントとして成長するための基礎学習になった。

<次回>