私はこうして会社を辞めました(32)―欧州の大地を駆け巡る

<前回>
(敬称略)

 96年夏、私は、上司のジョンソンから承認を取って、1か月の休暇を取ることになった。日本企業では考えられないが、外資系では有給の完全消化が当たり前。1か月をかけてヨーロッパの大地を駆け巡りたかったのだった。

22564 ドイツ中世の宝珠ローテンブルク
22564b ウィーンの街頭

 早速、ユーロパスとトーマスクック・ヨーロッパ鉄道時刻表を購入。行く先は、ドイツ、オーストリア、スイス、イタリア、フランス、モナコとイギリスの西欧中心7か国。日本国内の周遊型ツアーなら2~3週間程度だが、私はロンドンの大英博物館で丸一日かけてゆっくり見たいし、南仏のニースでは地中海を眺め、ぼーっとする時間もほしい。すると、1か月でもギリギリ、それ以上の短縮には妥協できない。

22564_2 スイス、アルプス山歩き
22564b_2 水の都ベネチア

 上海発のルフトハンザ航空でフランクフルト入りし、そこで現地発の日本語バスツアーに参加する。中世の古城ローテンブルクを回って一路とロマンチック街道を南下し、ミュンヘンにたどりつく。ビアホールでドンちゃん騒ぎして一夜明けると、あの有名なノイシュヴァンシュタイン城とリンダーホーフ城を見学する。

 ミュンヘンからは、列車で国境を越え、オーストリアに入る。モーツアルト生家のあるザルツブルグを見て、ウィーン入りする。ここではもちろん、あのウィーン風カツレツを食べるのが重要任務であった。

 オーストリアを後にすれば、夜行寝台でスイスに向かう。チューリッヒには半日ほど立ち寄って、アルプス名峰ユングフラウヨッホの麓に到着する。

22564_3 南仏ニース
22564b_3 ユーロスターでロンドンへ向かう

 スイスで山歩きを2日間楽しみ、フォンデュを食べ、山のフレッシュな空気を一杯に吸い込んだ後、再び列車に乗り込み、南へと下り、イタリアに入る。イタリアは水の都ヴェネチア、ルネッサンスの街フィレンツェ、そしてミラノを周り、ピサの斜塔も写真に収めながら、南仏を目指す。

 南仏のコートダジュール(Côte d’Azur)は、旅のクライマックス。ニースのビーチ沿いに宿を取り、モナコや香水の街グラースを回り、地中海の紺碧海岸を生涯の記憶にしっかりと刻み込む。長めの南仏滞在を終えれば、夜行寝台でパリへ北上する。

 パリを後にしては、あのユーロスターに乗って、ドーバー海峡を渡り、旅の終着、ロンドンにたどりつく・・・

 いま考えると、三十代前半だからこそ精力的にヨーロッパの大地を駆け巡ったが、かなりきつい旅程で、お上りさんのような無節操な観光地めぐりだった。それにしても私の二度目のヨーロッパ旅行で、とりあえず名所を回ってみて、気に入ったところがあれば、また次回ゆっくりと再訪しようと決め込んでいた。

22564_4ロンドン
22564b_4 ユーロパス

 あのヨーロッパ旅行を皮切りに、その次からはイタリアやフランス、イギリスを再訪しただけでなく、スペイン、ポルトガル、ギリシャ、ハンガリー、最終的にロシアまで足を伸ばし、徹頭徹尾の欧州ファンになってしまったのだった。

 独立起業してからは、私の老化現象が進んだせいか、旅のスタイルも大分変わった。周遊型から滞在型に変わり、ヨーロッパ通いは、フライトが長いのが苦になり、だいぶ回数も減った。2005年に一度イギリスへ行ったが、ロンドン郊外の牧草地帯であるコッツウォルズで連泊して読書に耽っていただけだった。

<次回>