私はこうして会社を辞めました(33)―メンタルケア

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(敬称略)

2262997年夏、カナダ・ロッキー山脈、山歩き中

 1997年の業務は、依然と好調が続く。上司のジョンソンも日系企業に関しては、基本的に口出しせず、完全に私に任せてくれた。ある意味では、私は社内で治外法権的な存在でもあった。ただ、仕事がきつい。全国各地を飛び回るのがまだしも、各拠点の担当スタッフと阿吽の呼吸を取るのが一番苦しかった。顧客の利益、会社の利益、部門の利益そして個人の利益・・・が交差するなか、それらを調整するのが至難の業。

 肉体的な疲労よりも、精神的な疲労がどーっとくるときがある。池山のように、中国勤務で精神的なダメージを受けて頓挫する人、私は何人も知っている。駐在員のメンタルケアには、ロイターが非常に力を入れている。欧米では下手にすると、この類のことで会社が従業員に訴えられるのだ。

22629_2マウイ島でドライブ中

 そのための措置も講じられていた。会社は香港辺りの専門メンタルヘルスカウンセラーと契約している。各地の上司が部下の駐在員を観察し、心の健康に懸念を示すと、すぐにカウンセリングを受けさせなければならない。しかし、現地採用者にはこのような特典はない。駐在員と現地採用者の格差で問題にされると、「現地採用者は、現地の生活に馴染み、現地を居住ベースとしているが、それに対して駐在員の場合、会社の都合で異動させられる成分がより濃厚で、当然それによって生ずるメンタルリスクには、会社が深く関与する道義上の責任がある」というふうに、会社が説明するのだ。

 このような会社の人事管理上のリスクを少しでも軽減するために、ある制度がロイターの中に設けられていた。「レスト・アンド・リクリエーション制度」、略称「R&R」。それは、私が入社時の雇用契約書にもこの福利制度の適用が明示されていた。この制度は、後進諸国に駐在する社員にのみ適用し、当時の中国は「後進」部類に入っていたのだった。

22629_3サンフランシスコ

 「R&R制度」の適用者には、年2回駐在地最寄りの先進国へ行き、休暇を取る資格が付与されていた。その往復航空券と数泊までのホテル宿泊代金は、会社から支給される。しかも、帯同家族全員が対象だった。その当時、私の駐在地、上海の最寄りの「先進国」は香港だった。そのほか、たとえばインドやスリランカならシンガポール、イラクならドバイ、パプアニューギニアならシドニー、モスクワならパリやフランクフルト、といった感じ。最寄り先進国以遠の場所に行くのも自由だが、最寄り先進国までの往復航空券を上回る差額分だけ自己負担さえすればよい。

 要は、駐在員はあまりにも酷い精神状態で頭がおかしくならないように、定期的に遊んだり
休んだりしてくださいということなのだ。駐在員の頭がおかしくなると、その駐在員の上司が責任を問われる。すると、上司は部下のR&Rの取得にとても協力的だった。むしろ、変に残業や休出ばかりやっていると、上司から強制的に休暇を取らされてしまうほどだった。

 私の場合、ちゃんと自分の日程と体調を管理し、R&Rを取っていたので、上司が満足だった。そのため、96年夏の1か月間のヨーロッパ旅行もスムーズに承認された。

 1997年は、1か月規模の大旅行はさすがなくなったが、その代わりに年間、まとまった休暇を3回ほど取ることにした。

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