「トランプを信じる」、彼は正義を代表しているのか?

 正義は勝つ。では、正義とは何か。

 誰もが自分に正義があると主張する。トランプもバイデンも自分に正義があるとする。しかし、それぞれの正義が対立している。では、真の正義はどこにある。裁判所が裁定する。では、裁判所に正義があるのか。それも時と場所によっては怪しい。

 日本の裁判ニュースが面白い。判決が出た時に、勝訴側がダッシュしながら見せにくるあの定番の旗は、「勝訴」あるいは「全面勝訴」と書かれているが、敗訴の場合は「不当判決」という旗に代わり、裁判所の判決が正義ではないと主張する。真の正義とは何か。ますます迷ってしまう。

 裁判官の判決は必ず正義かというと、2つの条件がかかっている。その案件には裁判官の私利がかかっていないこと、そして、裁判官は十分な法律知識をもっていること。では、そもそも法律そのものが正義かというと、それも怪しい。しょせん法律も人間が作ったものだから。

 つまり、人間がかかわっているところ、当事者の利益が絡んでいる限り、絶対的正義は存在しない。真の正義は、神しか持ち得ない。なぜならば、神は人間社会の利益にかかわっていないからこそ、正義を判断できるわけだ。だから、世界には神が必要だ。共産主義者は無神論者であるのは、彼たち自身を神と正義として定義しているからだ。

 トランプが正義を代表しているかどうと、神に近い認識や判断がなされたとき、正義とされる。ただ彼も人間である以上、私利私欲があり、100%神の意志を代表することはできない。彼が引き受けた役目は、神のメッセンジャーであり、神の代役ではない。

 そういう意味で、「トランプを信じる」「正義を信じる」の間にいささかギャップが生じる。人間トランプ神トランプのギャップだ。そのギャップを認識していれば、人間トランプに失望や絶望をしたりすることもなくなる。

 私は以前の「立花聡チャンネル」に、トランプの勝ち方と負け方、それから逃げ方について語ったところで、多くの反対意見に遭遇した。多くの人が、トランプの負けや逃げを受け入れられないのは、無理やりトランプを全神化したからだ。繰り返す、人間トランプと神トランプを分けて考えよう。

 われわれが信じるべきは、トランプではなく、正義であって、神である。そして忘れていけないのは、われわれ一人ひとりも生身の人間である以上、私利私欲を抱える限り、常に100%の正義を認識し得ないのである。われわれは正義で自分を正当化すべきではない。

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