冷徹な目線

 震災の報道もひと段落すると、違う側面から今回の震災を見つめようと考えた(経営者やコンサルタントとして複眼的目線が重要である)。

 石原東京都知事が、今回の悲惨な大震災について日本人の「我欲をうまく洗い流す必要がある。これはやっぱり天罰だと思う」と発言したことで、叩かれた。記者団から「非常に不謹慎な発言だと思うが、撤回する考えはないか」との質問にも「日本に対する天罰です」と答えたという。最終的に、渋々と「撤回」したものの、彼の本心は変わっていないだろう。

 石原氏の表現が悪すぎるし、発言のタイミングも悪すぎる。私も「天罰」だと思っている。しかも、これは「日本に対する天罰」だけではなく、全人類に対する天罰だと思う。日本、そして、被災者の方々は、われわれ全人類の代わりに塗炭の苦難を負わされている――「代理受難」。我々はどう受け止めるべきか、深刻に反省しなければならないということだ。

 石原氏の言論を強く非難する政治家やジャーナリストはたくさんいる。単に言葉を額面通りに受け止めれば、何という非常識だろうと怒りを覚え、大多数の国民の共鳴を得ることができよう。

 実は震災直後に、某元ジャーナリストから私に送ってきたメールに、同じようなことが書かれていた――。「被災者たちは本当に気の毒だが、いよいよ天罰がやってきた」

 被災者たちは、代理受難である。震災はわれわれ人類の貪欲に対する天罰だ。私は声を大にして叫びたい。もちろん、私自身も含めて、反省しなければならない、懺悔しなければならないことがあまりにも多すぎる。

 「私に何ができる」。震災後、私も含めてみんなこう考えた。結果的に義援金を送ることになる。義援金さえ送っておけば、とりあえず不作為の罪悪感から脱出できる。私もこう考えた成分がないわけではない。でも、これで十分なのか。「私に何ができる」というのはもちろんのこと、さらに、「何をしなければならない」を考える必要があるのではないだろうか。

 「できる」とは「権利」であり、「しなければならない」とは義務である。被災者たちに対する義務、地球に対する義務、私たちの子々孫々に対する義務、法律に書かれていない「義務」、これを無視していいのか。そんなのは政治家がやることだ、責任と義務を放り出した私たち一人ひとり、いつか天罰を喰らうのかもしれない。

 今日も、そんな反省と懺悔の一日だった。

<本記事の引用文は、原文(英語)を立花が抜粋邦訳したものである>

 いずれも邦字メディアでは未公開情報のようだが、ロイター通信社のブログサイトには、 「日本に義援金を送るな」という記事が掲載されていた。ロイター通信社シニア・ライター、フェリックス・サルモン氏(Felix Salmon)の記事だった。

 何ってことをいうんだ。怒りをこらえ、最後まで読んでみた。以下一部抜粋。

 「いま、あらゆる個人が日本に義援金を寄付している。銀行も日本に寄付している。世界中が日本に寄付している。日本から伝えられた衝撃なニュースと写真を目の当たりにし、一人ひとりは何かしようと考えている。もっとも直接な方法は、震災基金などの団体に寄付することだ」

 「日本に寄付するなと言いたい。・・・日本に寄付するなという理由はあまりにも多い。日本は豊かな国であり、大震災に対しすでにしかるべき対応をしている。たとえば、数千億ドル分の札を刷るとか。日本にとってみれば、カネは問題ではない。カネが必要なら、日本は札を刷ればよい。もっと重要なことがある。グローバル型の慈善団体は日本向けの義援金をいったいどこに使っているのかは、現在はっきりしていないのだ・・・」

 「日本向けの義援金は直接にそのまま日本のために使われているとは思えない。赤十字社などの慈善団体は日本での重要な役割を果たしつつも、その他の国においても同様に重要な役割を果たしていることは確実である。だから、私から見れば、カネを彼たちに寄付することは、全世界に寄付するも同然だ」

 米紙ニューヨーク・タイムズが掲載したステファニー・ストローム氏の寄稿は、日本への義援金寄付が愚かである理由を全面的に解説している。一部紹介すると――。

 「例えば、日本赤十字社は震災後『外部からの援助は求めていないし、必要もとしていない』と繰り返している。にもかかわらず、米国赤十字はそのとき、火曜日(3月15日)の午後現在すでに、日本の被災者の名義で3400万ドルもの義援金を集めていた」

 「日本政府はどうかというと、102カ国も援助を申し出たにもかかわらず、そのうちわずか15カ国しか支援を受け入れていない。しかも、いずれも特殊専門技能を持った小規模の非営利チームだった」

 さらに、私はこれら情報の裏づけを取ろうとし、米国赤十字社のウェブサイトをアクセスしてみた。以下の注意書きが記されていた――。

 「あなたが米国赤十字に寄付した義援金は、日本の大震災・津波の被災者向けに送られますが、米国赤十字社所定の特定災害救済金額限度枠を超えた場合、義援金は他の災害の被災者のために使われます」

 欧米系ジャーナリストの冷徹な目線を、ひんやりと感じたとともに、コンサルタントとして、どんなときでも感情に左右されずに、冷静に、客観的に、複眼的に物事を見つめる必要を、改めて思い知らされた。

 被災地、被災者の惨状を目の当たりにし、殊に祖国日本であることから、冷静さを失ってはならない。私自身も震災後真っ先に義援金を送った一人だった。また、会社の収益の一部も寄付し、ブログで盛んに義援金の寄付を呼びかける一人でもあった。

 雑多な慈善団体のなかでも信頼できる赤十字、しかも日本の赤十字社への寄付を決め込んでいた。私と同じ、大震災に義援金を送った、また送ろうとしている方々は、みんな、送ったカネは確実に被災地と被災者のために使われることを強く望んでいることだろう。

 先日四川省大地震の際、中国赤十字社にも義援金を送ったが、何ら受領確認もなく領収書もなく、音沙汰のないままだった。今回こそ、直接に日本の赤十字社に寄付すれば問題はないだろうと考えた。もちろん、いまでも問題はないと思っている。ただ、しっかりと、確実に大震災の被災者の方々のために使ってほしいと願ってやまない。

 日本赤十字社には、十分な情報公開を求めたい。また、私たち自身にも、今後、より責任ある支援のあり方とは何か、真剣に考えることが求められるだろう。

 被災地や被災者のために役に立つ。――目的。

 慈善団体に義援金を送る。――手段。

 目的と手段の因果関係、ロジックを徹底的に検証するのは、コンサルタントの仕事であり、企業経営者の仕事であり、また、一人ひとりが考えるべきことでもあろう――。私たちが慈善団体に寄付した義援金は、被災地や被災者のために役に立っているのだろうか。