私は楽譜が読めないが、クラシック音楽大好き人間だ。入門の機会を人生の先輩が与えてくれたのだった。まずはオペラを鑑賞しなさいと。なぜかというと、人物や歌詞、ストーリーが物理的に存在していて理解しやすいからだ。徐々にクラシックの虜になってみると、むしろ純粋音楽のほうが好きになった。
音楽は、歌詞もストーリーもなく、自由に解釈できる。クラシック音楽を哲学的に解釈し、自由なイマジネーションでストーリーを構成して楽しめる。特にワグナーやマーラーのように、音楽そのものが壮大な思想や人間の内面を描写する作曲家の作品には、哲学的な解釈を持ち込むことで、新たな視点や発見が得られる。
音楽は、あえて言語化しないからこそ無限の解釈を許容し、それに対して哲学的な問いや文脈を当てはめることで、音楽が持つ曖昧さが自分の中で新たな形に展開していくのである。哲学的なアプローチを通じて、音楽に含まれる抽象的な問いや情緒を掘り下げることは、知的な探究を通して感性を磨く手段ともなりうる。
また、作曲家の背景や作品の歴史的な文脈について理解した上で聴くことは、音楽に対する基盤を与えてくれるが、それに縛られる必要はない。音楽は個人の解釈を楽しむ自由がある芸術であり、作曲家自身も自らの作品が多様な解釈のもとに再発見されることを期待していただろうから。
特にマーラーの交響曲は、人生観や死生観を示唆しながらも、聴く者に解釈の自由を委ねている。私も年齢を重ねるごとに、新たな解釈が生まれ、そのたびにより深い感銘を受けている。