ピアノと管弦の関係雑考、協奏曲あれこれ

 ショパンといえば、ピアノ。ショパンの管弦楽系の作曲となると、どうもインパクトがない。そもそも彼は管弦楽が不得意ではないかという見方もある。私もずっとそう思ってきた。

 話題になった先般のショパンコンクールもあって、私はピアノ協奏曲第1番を何回も繰り返し聴いてみた。あの管弦楽は正直にいってピアノのためにあって、ピアノを引き立てるための伴奏(「伴走」といったほうがいいかも)だった。特に冒頭部分の管弦は冗長すら感じてしまうほど、まだかまだかとピアノの出番を待ちわびた。

 しかし、何回も聴いているうちに、私はあの管弦「伴走」に何か引っかかる(良い意味で)ものの存在を感じ始めた。たしかに、ショパンの管弦はやや重たいし、精緻とは言い難い。であるから、ショパンは管弦作曲が不得意といえるかというと、短絡的に結論づけはできない。

 逆のパターン、同じピアノ協奏曲でも、ベートーヴェンの第5番「皇帝」冒頭。オーケストラをバックにしてピアノの響きが壮大に展開する。ピアノに限っていえば、繊細さに欠けるともいえる(私の感想)。だが、そもそもそれがオーケストラの中のピアノにすぎない。管弦楽を引き立てるための鍵盤といえばそこまでだが、つまり鍵盤の「伴走」という事実がある。

 音楽史を調べると、ピアノの歴史がいかに浅いかを知った。フランス革命(1789年)以降に大量生産がはじまり、19世紀の産業革命(鉄鋼技術)を経て飛躍的に発展を遂げた。ベートーヴェンもショパンも、そしてリストも含めて、ピアノ作品の大量生産もこの時代に集中していた。

 ピアノの表現力は、無限である。ピアノそれ自体が1つのオーケストラという音楽家もいる。指揮者部屋に基本的にピアノが設置されているのも、その証左といえる。

 ここまでたどり着くと、いよいよ、ピアノと管弦楽を切り離して考えていた自分がいかに愚かだったかを思い知らされた。音楽という仕事畑に無縁である私にとって、音楽は仕事に欠かせない原材料である。余談だが、当社の財務表には、音楽鑑賞コストは仕入れ原価に属性づけられている。

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