「私がコロナだったら…」、ウイルスの世界制覇戦略

 ウイルスは、自己保存と拡散のために、ちゃんと戦略がある。

 まずバレないこと。バレると治療で殺されるから。バレないために、感染者に発症させない。症状が出なければ、感染に気付く人も少ない。それが無症状感染者が増える理由だ。無症状者を通じてとにかく感染を拡大させる(人間世界の無料サービス商法に似ている)。感染経路の探知不能にまで拡散させる。

 要するに、感染者の絶対数を増やすこと。重症率と死亡率が低くても、感染者総数が増大すれば、重症者や死亡者の数が正比例して上がる。いずれ医療崩壊に到達する。医療崩壊の先は葬儀業崩壊。インドのように。

 感染者総数が少ないステージでは、相応する重症者・死亡者数も相対的に少ないので、多くの人は「ただの風邪」と変わらないように錯覚し、警戒を弱める。これも計算ずく、ウイルスは頭がいい。

 一連の過程には天敵となり得るワクチンが開発され、徐々に普及するが、ウイルスはワクチン耐性強化のノウハウ蓄積を必死に進め、どんどん強力な変異種を作り、イノベーションに取り組む。

 感染者致死は必ずしもウイルスの目的ではない。宿主(客体)の死はウイルス主体の死を意味するから。

 種の絶滅回避、その為のウイルスの戦略が人間に理解されない理由は、人間は人間の目線しか持たないからだ。人間は瞬時の死を恐れる一方、「今日を享楽する」という欲望本能に駆られ、限られた経済的資源を社会的接触の機会と場に投入する。その弱点をウイルスが利用する。

 上記の欲望メカニズムに、もう1つの致命傷を人間が持つ。後遺症による長期的損失を予見し、リスクを回避する力だ。後遺症がもたらし得る生活品質の低下、キャリアやビジネス機会の喪失といった長期的ダメージが可視的になり、実証された時点ではもう遅い。

 これらの種々の要素から、コロナの長期化が経済的衰退と社会構造的崩壊(再建)を招く深刻なリスクが浮上する。失業と失注によって貧困化が拡大すれば、人の健康維持に割り当てられる資本が減少し、健康格差が新たな社会問題となる。これは理論上、コロナの無限なる変異と種の存続という長期戦略目標の達成につながり得る。

 「私がコロナだったら」――社会学や経営学の立ち位置、コロナ目線から見た景色。まあ、私の妄想的分析といってもよかろう。

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