日本社会、改革できないワケ

 時代は改革を要請している。日々Webセミナーを拝聴していると、各社が相次いで改革を打ち出している。美しいパワーパインの制作にどれだけの時間をかけているのか。私のような変わり者は、すぐ関心が変なところに行ってしまう。

 「イノベーション」から始まり、「サステナビリティ」「AI」「働き方改革」まで、流行語が次から次へと出てきて、いよいよ今は「DX」全盛期を迎えようとしている。何1つも達成できていない。総括も反省もなく、どんどん流行語だけは積み上げていく。

 日本社会は、つねに、足し算をしている。

 足し算は基本的に、誰の既得利益にも触れずに、万人受けする。正義感や正解感満点のキャッチフレーズには、これもまた誰もが反対できまい。しかも、コンサルタントをはじめとする輩は、新ワードが出るたびに、ブームが商機になる。

 足し算はいい。みんな喜ぶ。しかし、気がつけば何も変わらない。

 戦略とは、「やることとやらないことを決めること」「やることよりもまずやらないことを決めること」。私がビジネススクールで学んだことだった。

 つまり、引き算から始めるのである。

 引き算とは、やらないことを決めることだ。すでにやっていることなら、すぐに止めなければならない。すでにやってしまったことなら、改めなければならない。それでやっと、ゼロベースにリセットできて、足し算ができるようになるわけだ。

 引き算によって、既得利益が損なわれる。そんな領空侵犯を許す者はいない。すると、引き算はだいたい提案段階で門前払いされたり、潰される。

 日本社会は基本的に改革できない。いちど崩壊しないと、再生できない。なぜそういえるのか。改革は小さな引き算で、それを繰り返していれば、革命にならずにすむ。私は保守だが、リベラル的(改革的)なところがあるのは、リベラルをなくして保守が存立しないからだ。

 つまり、保守が目的、リベラルが手段。

 決してアンチテーゼではない。改革は革命を免れる手段なのだ。改革をやらなければ、いずれ革命が起きる。ただ、今のご時世では、フランス革命のような暴動が起きて、誰かをギロチンにかけたりすることはあり得ない。そうすると、人為的ではなく、自然革命がおきて、世の秩序を組み直すしかない。

 摂理的には、自然的リセットという意味において、コロナ革命といえるかもしれない。一度潰れてから再生する。

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