音楽と産業革命、情報革命、そして人間の感性と魂

 この間、お客様とブログの話をしていると、音楽ネタはあまりないねと言われた。何を隠そう、私は大の音痴であり、楽譜もまったく読めないのである。カラオケなら、雰囲気を楽しむのはいいが、決して歌わないのである。いざ歌いだすと、それは危険信号――相当飲んでいて酔いつぶれる直前だ。

 とはいっても、音楽は嫌いではない。好きなジャンルは何といってもオペラ(テノール、ソプラノ)、タンゴ、ファド(ポルトガル民謡)、楽器の方はピアノ、バイオリン、尺八のソロ演奏。体が受け付けないのは、テクノロック系。

38436_2日本を代表する作編曲家・服部克久氏と(1995年)

 基本的に、ナチュラルな音色、純粋な歌唱力を楽しむタイプだ。ここのところ、音楽にもITが浸透し、アーティストの本来の感性がどことなく薄れてしまったような気がする。日本を代表する作編曲家・日本作編曲家協会会長・服部克久氏は、ブログで次のように書いている。

 「ここにきて猫も杓子もITといった様相で、コンピュータを中心としたテクノロジーはいったいどこまで行くのか、そんな青写真は、おぼろげに見えてきたようです。特に音楽を制作する立場として考えれば、ITというほど大袈裟でなくても、コンピュータを使ったいわゆる打ち込みが全盛なのは相変わらずだし、僕も結構利用しているし、こういったテクノロジーを否定するつもりは皆目ありません。アコースティックな楽器と合わせて、表現の幅が広がっていくというありがたい話で、結局はそれらをどう使いこなして、何をどう表現するのか、そんな基本を忘れないよう、自戒の念を強くしている次第です」

 まったく同感である。アップルのiPad発売の熱狂振りを見て、私はある種の恐怖さえ感じた。ITが私たち生活のいたるところに大きな影響を与えている。だが、ツールという本来の機能が無限に拡張され、いまやある意味で、音楽や芸術といったきわめて感性的な領域にまで浸透し、浸食さえしはじめているのである。

 産業革命は、技術改良や動力源、そして移動手段の開発・進化で近代社会の基盤を作り上げたが、気がつけば今日の環境汚染もそもそも遡れば産業革命に起源しているのではないか。20世紀末のITを、情報革命と位置づけ、公害を生まない無煙産業として絶賛され、時代の寵児として君臨する。しかし、情報革命は知らずに人間の感性まで侵食しはじめている。産業革命もIT情報革命も、人類史上では大きな功績を残しつつも、副作用の影響を決して軽視できないだろう。

 人間の感性、魂は、「革命」されてはならない。

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