新日米中関係の構築、クラシック音楽の作曲技法から見る

 日本とアメリカの関係は、クラシック音楽に当てはめると、「カノン」と「フーガ」のようなものだ。

 「カノン」も「フーガ」も、主題を追いかける作曲法。「カノン」は構成が簡単で後続声部が先行声部を忠実に模倣し、同じ調で追いかけ続ける。これに対して、「フーガ」は主題を転調しながら別の調で追いかけ、3声、4声になると、主題が出てくるたびに調性が変わるため、構成上複雑な和声の概念を理解したうえで作曲しなければならず、多次元の追いかけになる。

 アメリカは常に主題提示しながら、日本はカノンで単純に同調追随したり、あるいは場面によってはフーガのように形を変えながら追いかけてきた。バイデン政権になった時点で、肝心な主題が大きく変わった。そこで従来通りの形態で同調や追随をしていいのか。本質を追い求め、理性的な判断を入れる必要が生じた。

 アメリカと中国の関係はどうだろうか。バイデン政権の基本理念とスタンスは、親中。少なくとも反中ではない。中国と対立がないわけではないが、その対立はトランプ時代のイデオロギー、価値観次元の対立ではなく、社会主義国同士(同類)の対立にも見られるように、利益次元の対立である。

 バイデン政権は表向きには、社会主義の同類だと公認することができない。すると、対中関係は、単純同調のカノンを避け、多重フーガや反行フーガ、拡大フーガ、縮小フーガ、フゲッタ、フガートなど多彩な、手の込んだフーガの作曲技法を動員する。たとえば、反行フーガの主題は時には上下転回された形で模倣され、主音と属音が入れ替わったり、主題の提示位置が多様だったりする。

 しかし、本質を成す主題は変わらない。手の込んだ技能に惑わされてはならない。国際政治は技術から芸術の世界にシフトしてみると、芸術を構成する技術の看破が必要になってくる。同時に、日本も一プレイヤーとしては、政治の技術から芸術を構成する技術の習得と実践という新たなフェーズに移らざるを得ない。

 その大前提は、「主題」の自主的決定権である。

タグ: