宗教や信仰の境を超越する、西洋古典音楽のパワー

 日曜の昼下がり。KLCCのツインタワーに出かけ、今月2回目のコンサート。

 気が付いたら、ここのところ、ムスリムの方がずいぶん増えた。西洋古典音楽そのものでなく、やはりキリスト教の色彩の濃淡がムスリムに影響する。そのため、曲目によって上演を控えるものもあるとか。

 イスラム国家であるが故に、このような配慮も欠かせない。一方自ら西洋音楽に興味を持つムスリムが増えていることは誠に喜ばしい。彼たちの心中を知る術はないが、多分宗教よりも芸術のほうに目を向けているのではないかと。

 そもそも曲目に対する解釈というのは後世の所為であり、なくなった作曲家の思いを完全に再現することは不可能だ。私はコンサートに出かける前にまず曲目の予習をする。定番の解説やいろんな音楽評論家の評論を読んでもあくまでも参考としているだけ。

 いざ演奏を聴いていると、自分なりの解釈やイマジネーションも湧いてくるし、また同じ曲であっても、その時その時異なるインスピレーションを受けることもしばしばある。

 そういう意味で音楽には国境がないだけでなく、宗教や信仰の境を超越したものになってほしい。

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