「有害である科学的証拠はない」、音楽の聴き方は危ない?

 いくら自己管理型の仕事だからといって、夏休みはやはり少し休暇らしく過ごしたい。休むのだ。連日、朝早い時間帯に庭に出て、陣取ってマイリゾートを楽しむ。

 ホテルでのリゾートは、一定の制限を受ける。たとえば、音楽。周りの客に迷惑であるから、当然ヘッドホンやイヤホンを使わざるを得ない。この時代には便利な道具がいっぱいある。ケーブルの煩わしさもなく、快適に音楽を聴くことができるワイヤレス系のイヤホンもその1つだ。

 しかし、ワイヤレスイヤホンに使われているBluetoothが脳や体に悪影響を与え、発がん性があるという説もある。そういう話になると、科学技術の専門話を持ち出し、「有害の証拠が見当たらない」と、反論する人が出てくる。まずは、Bluetoothから発せられる電磁波が、人体へ有益ということはない。これだけは先行確定できるだろう。

 有益性が排除された以上、残されるのは、無益無害性(中性)有害性。「有害の証拠が見当たらない」とは、即ち無害とはならない。時間の検証によって将来のあるときに有害性が証明されることもあり得るわけだから、せいぜい現時点では、検証結果待ちとしかいえない。コロナのワクチンも然り。

 現にイヤホンのBluetoothについては、日本の総務省は「健康への悪影響を示すといった科学的証拠は認められていない」としている。案の定、典型的な事例だ。将来への担保はまったくない。発がん性の研究に必要とされる長期間のデータ蓄積がまだ不十分であるから、政府が言っていることは間違っているとはいえない。いや、正しいのだ。

 問題は、世の中、正しいことのすべてが、有益とも無害とも限らないことだ。歴史というのは、将来に確定される正解であり、それまでのステータスはずっと「未定」であり、「リスク」も当然排除できない。

 では、有線イヤホンなら問題はないかというと、「ヘッドホン難聴」「イヤホン難聴」のリスクが付きまとう。これも話が展開すれば、小さな音量なら問題ないとか、いろんな善意なオピニオンが出てくる。だが、あれこれ論証しているうちに、最終的にイヤホンを使わないほうが無難ではないかという結論に落ち着く。

 私は自然科学、特に複雑系にはきわめて不得意だ。専門家と議論する立場にないので、最終的に利便性を放棄してもっとも自然な形態というか、オリジナルやレトロといった古典に復帰する。復古派なのである。

 自宅の庭ならではの優位性はなんといっても、音楽をスピーカーで聴けることだ。プールサイドで音楽をスピーカーで楽しめるのが贅沢だ。

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