無策、誰が総理をやっても、同じ。日本を腐らせるか、ロックダウン立法するかの二択しかない(ワクチン頼みはもう終わり、ロックダウンももう遅いかもしれない)。本当に政治家や政府が悪いのだろうか。
イメージされた国民に対するメディア取材――。
【メディアの質問】:「コロナの拡散が加速化しているなか、それでも、夏休みに帰省や旅行に行かれるのでしょうか。中止は考えていないんですか?」
【国民の回答】:「中止の考えはありません。重症者数も死亡者数も、深刻な状態とはいえません。強い警戒感を持って、しっかりと感染防止策を講じ、全員安全安心の帰省や旅行に取り組んでまいります。長期化する緊急事態宣言で困っている旅行業や飲食業の皆さんもおられて、このときだからこそ、助け合うことが大切であって、われわれ日本国民は一致団結し、必ずコロナに打ち勝てると確信しております」
こんな感じで、まさに官民一体感がひしひしと伝わってくる。がんばれ!にっぽん。
馬鹿にもほどがある。演繹の3段論法を使うと――。① コロナは馬鹿発見器、 ② 馬鹿は死ななきゃ治らない → ③ ?結論の③は、各自の推論に任せよう。コロナに関しては誰がやってもおんなじ。切れるカードはないし、愚民も多いから。私が「秋の選挙に野党に投票する」といったのは、自民党の腐敗堕落であって、決してコロナ政策ではない。
いや馬鹿ばかりでもない。科学を信じる人も多い。しかし、科学の限界を認めるのが、科学の原点ではないか?コロナは既に科学対処域を超えている。人間の生活様式の変更、経済産業の構造的調整、信仰心の保有、自然免疫の確立で、自然終息を待つしかない、と思う。ただ人間は悲惨絶望の極限まで追い込まれない限り、悟れないのである。
ワクチン3回目接種「ブースターショット」とは、「追加補強」で、「量」の増強を意味する。それがデルタ株とそれ以降の変異種という「質」に対応できるのか?答えが全く見えていない。これも科学への妄信にほかならない。あるいは「確信犯」なのかもしれない。
「夢」と「感動」。さあ、東京五輪もいよいよ今日で終わり。あとは、地獄。地上から地獄に堕ちるのと、天上から地獄に堕ちるのと、どっちが痛いか?私が言ってきたこと、「祭りの後に、後の祭り」。その通りの展開になりそうだ。
日本人は、焼け野原からの再出発に強い。焼け野原の回避には弱い。ならば、結論はもう出ている。
コロナは、天罰。でも、悟れない人がほとんど。科学万能、ワクチンで打ち勝て、昨日に戻れると未だに幻想を抱いている。政府の「無策」を批判する愚民ども。策などあるわけがない。神託のお告げで、生き方を変えろ。