資本主義も民主主義も続かない、なぜ?

 資本主義も民主主義も続かない。なぜだろうか。

 19世紀から21世紀までの200年の間に、多くの「産業革命」が起こった。電気や電信から、上下水道、自動車、飛行機、物流(コンテナ海運、冷蔵輸送など)、農業動力化、家事動力化(洗濯機や掃除機、冷蔵庫、ミシンなど)、コンピューターや半導体、そしてロボット、AIまで、すべてをまとめると、「時間の節約」という一言で括ることができる。

 生命・生存を維持するための労働時間が節約され、余った時間を消費活動に費し、いわゆる余暇時間が増えた。われわれの今の消費活動は概ね、生命・生存を維持するための「必要消費」とそうではない「選択的消費」という2種類に分けられる。余剰・余暇時間が増えれば増えるほど、後者の選択的消費が正比例に増えるわけだ。

 コロナ期間中に、必要消費たる「エッセンシャル消費」活動だけが許され、そうでない「選択的消費」が制限されるのも、改めて消費活動の2大属性を示してくれた。

 「選択的消費」は要するに、生命・生存維持上必要でない消費だ。これらの財・サービスは明らかに供給が需要を上回っている。そこで、広告やマーケティング、さらにブランド戦略といった類は、「不必要な商品を、いかに消費者に必要性を認めさせるか」ためのツール、言い換えれば、「欲づくり」である。

 選択的消費対象となる商品をあたかも必需品であるかのように仕立て、しかも麻薬のように恒久的に消費させる。小幡績・慶應義塾大学大学院准教授は、これを「麻薬経済」と称している(2022年12月10日付け、東洋経済オンライン記事)

 FacebookのようなSNSは、まさに麻薬経済の代表格――。

 「私は空港のラウンジでお酒を飲んでいる」という投稿があるとしよう。それは投稿者が自己ステータスを誇示したいという欲(潜在的心理)があっての投稿であろう。言い換えれば、Facebookの「欲づくり」戦略が成功している証でもある。SNS上の大半の投稿は、そうした「無価値」なものである。

 しかし、問題は投稿の内容(質)ではない。投稿があること、投稿の数(量)なのだ。投稿が増えれば増えるほど、SNSの広告価値が上がるからだ。つまりFacebookのようなSNSは、人の欲を利用して人の欲づくりを実現するビジネスモデルである。

 200年間の産業革命という質の改変によって、時間が余るという量の増加をもたらしてきた。この本質は変わっていない。問題はそれがいつまで続くかだ。

 ここで民主主義という仕組みに目を向けてみたい。民主主義は人の自由や権利意識を覚醒させ、欲の膨張に拍車をかけた。そうした意味で、民主主義それ自体が最大の「欲づくり」マシンといえる。民主主義と資本主義の結合、量的暴走が行き過ぎたところで、麻薬経済が限界を迎える。

 中国の習近平政権はここのところ、ITをはじめとする第三次産業にブレーキをかけ始めたのも、麻薬経済を是正するためだ。つまり、非民主主義的手段によって資本主義の歪みを是正しようとしているのだ。

 新興国を含め世界中の人々が第三次産業に殺到する。必要消費を支えるエネルギーや農業、製造業、サービス業の単純労働は給料が安く、辛い。だからやりたくない。やりたくないから、労働力不足が生じる。そこで必要消費項目下の品々(必需品)の価格が上がり、インフレになる。

 本来ならば、労働市場のメカニズムが機能し、ワーカーや農家、ウェイターの給料は、オフィスのホワイトカラーの倍、いや数倍に上がるはずだが、そうなっていない。ここだけは、資本主義の市場メカニズムが機能していない。なぜ?

 ホワイトカラーが失業しても、失業保険や生活保障があって、餓死しないからだ。ワーカーや農家に転職・転業して働けと強要できないのは、民主主義制度下に職業選択の自由が保障されているからだ。

 このように、民主主義が資本主義の歪みを是正できず、むしろ悪化さえさせている。習近平政権の試みは、その成敗は歴史的検証を受けて結論づけられるだろうが、試みであることだけは否めない。

タグ: